看護師が辞めた医療現場の闇

戴帽式
寄稿:A.Mさん 東京都30代(女性)

人はなぜ働くのか?

看護の仕事は辛いものだと思っていた。
幸せな人を見たことが無かった。
そういうものだと思っていた。

でも最近ちょっとした事件があり、看護に絶望していた昔のことを思い出し、書いてみたくなった。
興味があったら読んでみてください。

新卒で入職した病院のこと

私は看護学校を卒業後、東京に上京した。
若いうちにスキルを身に付けたいと思い、新人教育が良いと噂の病院に就職した。

でもこの就職は間違いだった。
休みが週に1日。週休2日は稀だった。夜勤が深夜9回、準夜6回の計15回平均。日勤からの深夜勤コンボが月に何回もあった。
夜勤の仮眠は15分ほど横になれればいい方で、基本的にはほぼ取れなかった。
残業も恒常化しており、先輩方が帰らないから新人も帰れない。定時帰宅していた同期の子もいたが、罵倒を受けるようになり、震えながら泣いていたのを最後に休職した。

そんな異常な環境のせいなのか、職場の関係も最悪レベルだった。
プリセプターが名ばかりなのはまだいい方で、質問すると露骨に嫌な顔をされ、聞かないと怒鳴られ、何をしても攻撃の的にされた。
病棟全体がそんな雰囲気だった。
新卒の子はみんな下を向き小さくなっていた。

でも誰かが悪いわけじゃない。
人をそうさせてしまう場所なんだと思った。

それでも一部の先輩は色々と気にかけてくれ、良くしてくれた。強い人だと思った。
そんな先輩の一人が妊娠した。なかなか子供ができず不妊治療をしていた。5年も頑張って身ごもった。
でも代わりの看護師がおらず、今まで通り頑張っていた。

妊娠して2か月後。先輩は流産した。夜勤後に出血があって緊急入院。その一週間後、胎児の心拍が停止していたらしい。先輩はそのまま辞めていった。さよならも言えなかった。

先輩は何を思ったのだろう?どんな絶望を味わったのだろう?誰を恨んだのだろう?

私は睡眠薬を飲み始めた。
逃げ出したかった。でも残る人達の苦労を考えると辞められなかった

入職して3年が経ったある肌寒い日の夜勤中。
私は激痛で立てなくなった。急性胃炎と診断され入院することになった。
そのまま辞めることになった。

初めての転職

私は無職になり、仕事を探した。
前回の反省を踏まえ、しっかりと情報を集めた。病院のホームページを隅々まで読み、ハローワークにも通い念入りにチェックした。
別に望みなんてない。普通の暮らしができればいい。

良さそうな病院が見つかった。
面接は、感じのよさそうな師長が色々と話をしてくれた。前職の3年間を評価してもらえたのもうれしかった。

入職した。
ちょうど4月の新卒シーズンと重なり、中途採用者も一緒にオリエンテーションを受けることになった。
新卒の子らは相変わらず小さくなっていたけど、右往左往していてかわいかった。何かと頼ってくれ先輩顔できた。
年の差はあったけど、仕事終わりにみんなでガストに行ったり、カラオケに行ったり、家飲みをしたり、学生時代を思い出した。

でも2週間後。職場に配属され一変した。

職場の外科病棟は、仕事量がとにかく膨大だった。
院内14の診療科から術前の患者さんが集まってくる。夕方前後のオペが多く、18時から22時が最も忙しく残業が日常的だった。8時に出勤して23時ごろ帰宅するような生活。昼食以外の休憩はない。夜勤は夜勤で、1人で20人近くの患者さんを見なければいけない。術後せん妄で暴れたり豹変する患者さんも多く、そのたびに数少ない看護師が付きっきりになった。仮眠は取れなかった。仮眠スペースすらなかった。16時間息つく間もなく働いた。

仕事は手探りだった。
脳梗塞の術後患者さんが運ばれてくることも多く、脳外経験のない看護師ばかりで、その対応でナースステーション全体がパニックになったこともあった。投薬する薬は見たこともなかった。何の説明もない。インシデントは頻繁に起こった。実際投薬ミスは何度もありそのたびに血の気が引いた。でも誰も助けてくれないし、助ける余裕もなかった。新規の患者さんが来ると汗が出て、指が痺れるようになった。担当にならないよう祈った。

大きな病院には看護師が何百人もいた。知らない人が沢山いた。私はその中の小さな小さなほんの一部分でしかなかった。私は誰も知らないし、誰も私を知らない。沢山の人がいたけど、一人ぼっちで働いているような感覚だった。必死に頑張ったところで何かが良くなるわけでもない。ただ地獄のような日常がただ続くだけだった。

誰かが辞め、また新しい誰かが入ってくる。感情なんてものはない。そんな日常。

2度目の転職

私はまた無職になった。
仕事を探した。看護の求人を見ると、昔を思い出し指が震えた。

看護以外の面接を受けた。
でも内定が出ず、半年間無職だった。

介護施設で働くことになった。
看護師として。

とはいっても看護はほとんどなかった。服薬管理とバイタル、たん吸引、入浴の可否判断くらい。急変時は併設の病院からドクターを呼ぶだけだった。拍子抜けするくらい看護が無かった。やっていけるかもと思った。

でも結果的に、この転職は大失敗だった。

ベテラン看護師の中に溶け込めなかった。
介護施設の看護師はほぼ40代と50代。10年以上働いているベテランばかり。グループが完成していて、そこに入っていけなかった。

入浴介助の担当を任された。
入浴中は看護師1名が付くルール。仕事は入浴中の見守りがメイン。見ているだけ。でも介護職員は汗だくで介助している。超高回転の流れ作業。冷たい目で見られる。嫌みを言う人もいた。舌打ちする人もいた。大声で罵倒する人もいた。脅迫する人もいた。手伝いたくても「看護師さんは」と避けられた。昼から夕方まで約4時間。
これを毎日担当した。
代わってくれる人はいなかった。

オンコール当番があった。
週1回担当という話は入職前に聞いていた。
でも実際は週三回だった。若いという理由で。
電話は結構鳴った。深夜に鳴ることが多かった。施設に行く頻度も高かった。お酒を飲めなくなり、外出もできなくなり、化粧を落としたり、お風呂に入る時間も気を遣うようになった。24時間ずっと仕事をしているような感覚だった。

10か月目。
退職することになった。
色々と良くしてくれた施設長さんには大変申し訳ないことをした。

3度目の無職

私はまた無職になった。
1日ボーっと過ごした。
仕事を探そうともしなかった。
看護関係の本は全て捨てた。
看護学校の大切な思い出も捨てた。
家から出ることがほとんどなくなった。
それでも貯金はどんどん減っていった。
母への仕送りができなくなった。

でも何もしなかった。
何もできなかった。

無職になって1年ほどだった頃。
流産した先輩から電話がかかってきた。何年かぶりに聞いた先輩の声は優しかった。
子供が産まれたらしい。

泣いた。

3度目の転職

私はまた動き出した。

ハローワーク、求人誌、転職サイト、再就職フェア、病院見学など、色んなところから情報を集めた。
その甲斐もあってか転職サイトで人の良いエージェントさんに出会い、面倒を見てもらえた。

今の職場も忙しい。
看護の仕事に楽な職場なんてない。

でも毎週2回シッカリと休めるようになった。休日の希望も通りやすい。有休もしっかりとれる。夜勤も週1回にしてもらえているし、仮眠を2時間取れるから体の負担はかなり楽になる。仮眠が取れるだけでこんなにも違うんだって看護師7年目でようやく知った。

看護師が多く「先輩が教える」という当たり前のことが自然とできていて、初めての患者さんも安心して担当できる。

だからなのか人間関係も良好。
困っていたら誰かが助けてくれるし、困っていなくても誰かが声をかけてくれる。冗談を言ったり、軽口を叩いたり、ナースステーションの隅に男性アイドルのきわどいグラビアを貼てみたり、それを見てワイワイやってみたり。

もちろん看護の仕事はどこに行っても大変。
肉体的なハードさだったり、精神的なキツさは、今の職場でも感じる。人の生き死にと関わる仕事である以上、こういった大変さはずっとついて回るものだと思う。

でも仕事帰りにイオンで買い物したり、映画を見たり、駅前をブラブラしたり、今までできなかった楽しみができるようになった。連休も取れるようになった。夜勤明けと合わせて3連休にして、友達とちょっとした旅行に行けるようにもなった。

今はこんなちょっとした幸せを感じられるようになった。たぶんこれが普通の生活なんだと思う。仕事はちょっと大変だけど、頑張る価値がある生活。

看護師になって7年目。
仕事が好きだと思えた。

なぜ仕事が辛いのか?

看護師に限っていえば「人手不足」が最大の原因だと思う。

人手不足だから、忙しすぎて人を気遣う余裕もなく、残業も多く、夜勤も多い。インシデントや医療ミスも頻発する。

余裕がないと、誰かを助けたり頼ることもできず、劣悪な人間関係の中で医療ミスに怯え、過労とストレスで心も体だもズタボロになる。

こういった職場は本当に辛い。

まとめ

日本の病院のほとんどは人手不足。
誰かを気にする余裕もなく、一人ぼっちで孤独で恐怖で、多くの看護師が「辞めたい」って悩むんだと思う。

そんな時は、私のように人材が豊富な職場で働いてみるといい。
普通の人間らしい生活ができると思う。

もちろん「人手が多い病院で働ける可能性」は低い。
求人がなかなか出てこないし、人手が多いかどうかなんて調べるのは難しいし、良い病院ほどライバルが多く面接にも通りにくい。

だったら転職サイトでエージェントさんに色々と聞いてみたらいい。
彼らは色んな求人を持っているし、病院の内情にも詳しいし、面接に通る方法も熟知していた。

ただし中には悪質なエージェントもいるから、そこだけは注意してほしい。
参考:看護師が悪質な転職サイトに騙されたときの話

看護師を辞めたい辛さがほぼ消えた話

「私は看護師に向いてない」

看護師になってから5年間。
私は働くのが辛いことだと思っていた。

仕事覚えは悪いし、仕事が遅いし、人一倍ミスをするし、インシデントを起こすし、クレームも多いし、同僚からの信頼もない。
グズ、ノロマ、物覚えが悪い、理解力がない、と何度か言われたことがある。

看護師を辞めたいと思っていた。

でも試行錯誤の末、その辛さの原因が分かり、チョットした方法で改善することができた。
今では辛さのほとんどが消え、仕事も順調になった。

この経験を「こんなこともあるんだ」という意味で伝えてみたくなった。
同じように苦しんでいる看護師に読んでもらえたら。

辛さの原因

看護師になってから、いつも「体のダルさ」を感じていた。
そのダルさから頭も鈍くなり、いつも無気力で鬱なんだと思っていた。

当時の症状がこちら
・モノを覚えられない
・朝起きるのが辛い(どんなに寝ても)
・小さなことにイライラする
・無気力
・自己嫌悪
・頭が働かない
・仕事中の急激な眠気
・体のだるさ
・慢性的な肩こり
・頻発する片頭痛
・蕁麻疹
・疲れやすい
・集中できない
・本が読めない
・考えられない
・食事が美味しくない
・立ちくらみ

それでも何とか5年間耐え忍んできた。

でも28歳になった時に、無理しすぎて休職した。
ストレスで胃潰瘍になり胃に穴が開いて、痛くてご飯を食べられなくなり、色々と辛かった。

休職中は「この辛さから逃げたい!」という一心で、熱心に調べて回った。

心療内科クリニックへ行ってみたり、漢方薬を飲んだり、運動をしてみたり、趣味を作ってストレス発散してみたり。
なかなかうまくいかなかった。
それでも諦めず、色んな本を読んで、色んな人に話を聞いてみた。

その結果「これは低血糖症なんじゃ?」と思った。
低血糖は多くの症状を引き起こす。

例えば、
・判断力の低下
・思考力の低下
・集中力の低下
・感情のコントロールが不安定
・感情の欠如
・動悸
・不安
・手足の震え
・空腹感
・頭痛
・意識の錯乱
・不眠
・悪夢
・めまい
・疲労感
・焦燥感
・イライラ
・落ち込み
・自殺観念
・引きこもり
・憎しみ
・かすみ目

当てはまりすぎてビックリした。
私が仕事でミスが多いのは「もしかして低血糖の影響もあるんじゃないか?」と思った。

低血糖を治したい!

色んな文献を調べて改善方法がいくつかあった。
モノは試しで初めてみたら、すぐに効果が出てきた。
その具体策を書いてみる。

食事を変える

低血糖は、食事の影響が大きい。

食後に血糖値が急上昇し、インスリンが大量に出てしまい、血糖値が低くなってしまう。
こうなると血糖値を上げるためにアドレナリンが出て、その副作用で「集中力の低下、焦燥感、落ち込み」などの低血糖特有の症状が起こる。

改善のため、まずは「吸収が穏やか物」を中心に食べるようにした。
簡単にはこんな感じ。

×:NG
精製された炭水化物
(白いパン、白いご飯、白い砂糖、麺類など)

◎:OK
未精製の炭水化物
(玄米、ライ麦、ナッツなど)
肉や魚
野菜
果物

豆腐
ワカメ
キノコ系

玄米やライ麦は、炭水化物が多いけど、未精製のため血糖値の上昇は穏やかになる。

朝は、玄米ご飯に豆腐4分の1をのせ、カツオ節をかけて醤油を垂らし、血糖値にやさしいモノを食べた(簡単で美味しく続けやすい)
昼は、ライ麦パンに、ゆで卵、ハム、ざく切りしたキュウリやトマトを持ちこんで、即席のサンドイッチを作って食べた(手間が少なく続けやすい)
夜は、血糖値のことをあまり考えずに、食べたいものを食べるようにした(長続きのコツ)

あとは間食をするようにした。
食事を一度に取ると、血糖値が急激に上がりやすい。だから間食で分散させた。

間食は10時と15時。
アーモンド、カシューナッツ、クルミなどのナッツ系が良かった。
未精製の炭水化物かつ、ナースステーションでも手軽に間食しやすい。

140グラム298円のナッツ詰め合わせを買って、それを1週間かけて間食する感じ。
ナッツは値段的に高いイメージがあったけど、意外と安い。
腹持ちがいいから少量でも全然OK。
チビチビ食べればコストも安くなるし、カロリーも気にならない(結果として痩せた)

食事のコツをまとめると、
吸収の穏やかな物を食べ、空腹の時間を減らすこと。

これで血糖値を安定させられる。
(結果はもう少し後に書いてあります)

睡眠を変える

睡眠は「人生の幸福度」と言われるくらい重要 。
血糖値を調べていると、私は「睡眠の質」にも問題があるとわかった。

寝てもスッキリしていない。
8時間以上寝ても、まだ眠い。
仕事中も眠くなる。
特に午後からの睡魔が酷かった。
ほぼ毎日こんな状態。

これを改善したいと思った。

睡眠は「時間」も大切だが「質」も大事。
この質を改善するためには3つのポイントがある。

・環境
・飲み物
・食事

まず環境。
睡眠の最大の障害は、音と光。

音には耳栓がベスト。
これがかなりスゴくて、小さな雑音は全てシャットアウトしてくれる。
冷蔵庫、エアコン、扇風機、時計の秒針、などの雑音は全く聞こえなくなる。
さらに言えば、人の話声、足音、テレビの音、車の騒音などもほぼ聞こえない。
緊急時に何も聞こえないのは怖いけど、その辺りは大丈夫で、消防のサイレン、叫び声、時計のアラームなどの高音はちゃんと聞こえるようになっている。

さらに光対策にはアイマスク。
1級遮光カーテンなら光は通さないけど、どうしても隙間から漏れてしまう。
またスマホやテレビなどの家電製品の小さな光も、意外と睡眠の障害になる。
でもアイマスクがあれば、これらを防げる。
特に看護師は夜勤があるから、昼に寝る機会が多く、光対策は必須だと思った。

音と光を完全にシャットアウト。
これだけで朝まで一度も目を覚まさず、ぐっすり眠れるようになった。

さらに飲み物。
カフェイン、アルコールは避ける。
就寝の8時間前から。
23時に寝るなら、15時頃から気を付けること。
緑茶はカフェイン多めなので要注意。

最後に食事。
先ほどの血糖値の話と被ってしまうが、ここでは「睡眠の質」についてのみ言及する。

寝る前の食事はダメ。
睡眠中も肝臓が休めないから。
頭は寝ているけど、体は起きているような状態になってしまう。

寝る3時間前には食事を終えておくこと。
23時に寝るのなら、20時には食事しておく。
寝る前にお腹がすくっていう人は、夕食で食物繊維を多くとれば、腹持ちがいい。
ライ麦パンやナッツなど。

寝る前にどうしてもお腹がすいたら、フルーツをミキサーして飲むのがおすすめ。
できればバナナジュースが良い。バナナはトリプトファンというアミノ酸が多く、眠りを導くセロトニンというホルモンの原料だから。
固形物は避けること。睡眠中に消化活動が活発になってしまい、体が休めない。

睡眠に関する色んな本を読んだけど、ここまでやれば完璧だと思う。

改善した結果

効果はすぐに出た。

まず集中力が戻ってきた。
看護本がスラスラ読めるようになったし、複雑な疾患も理解できるようになったし、何よりも仕事中にボーっとすることが無くなった。
カンファのときは、資料をすぐに理解できるようになったし、話にも着いていけるし、的確な発言もできるようになった。
業務中は、ドクターからの指示を忘れなくなったし、新規患者さんの担当も何をすべきか頭の中にスラスラ思い浮かぶようになった。
点過去の断片的だった経験や知識が、まとまりだしたような感覚。

また感情の不安定さがかなり改善された。
先輩たちから嫌味を言われても、へこたれないようになった(さほど気にならなくなった)
「先輩の非効率な指示、言動」に対しての、小さなイライラも少なくなり、性格も落ち着いた。
家に帰ってからの「死にたい・・」「私なんて・・」「あのヤロー!」という感情の落ち込みや、爆発もほぼなくなった。

体のだるさもほぼ解消された。
昼食後に眠くて眠くて、2~3時間くらいはボーっとする現象もピタリとやんだ。
以前は午後から仕事にならなかったが、業務をテキパキとこなせるようになり、結果として残業をほぼしなくてもよくなった(緊急入院、急変、委員会以外)

周りからは「休職してリフレッシュしたら全然変わったね!」なんて言われた。
リフレッシュしたからじゃ・・。
とも思ったが、あの休職が転機だったのは間違いない。

私は慣れすぎていた。
低血糖の状態が日常になっていて、できないのが当たり前だと思っていた。

けど実際には、
自分の能力を出し切れていないだけだった。

職場を変える

私は新卒で入職してずっと同じ病院で働いてきた。

「私は看護師に向いてない」

この原因は自分自身にあると思っていた。
確かにその面は大きい。
実際に、仕事覚えは悪いし、仕事が遅いし、人一倍ミスをするし、インシデントを起こすし、クレームも多いし、同僚からの信頼もなかった。

でも集中力が戻り、職場が見渡せるようになってから、その考えは変わった。

病院の環境自体が悪かった。
教育体制があって無いようなものだったし、仕事が煩雑でミスしやすい環境だったし、インシデントを防ぐ対策もされていなかった。
そもそも先輩たちは、ミスをしてもそれを隠しているようだった。
インシデントレポートを書くこともなかった。
難しい患者は、自分たちが担当しないよう、新人に押し付けてもいた。

私だけがバカ真面目にやって病んでいた。

新人看護師が来ても、誰も面倒を見ず、育てず、結果としてみんな辞めていく。
良くも悪くも従順な看護師だけが優遇される。

病院は不公平な場所。

もちろん先輩たちが悪いわけじゃないのは分かっている。
病院自体の体質自体がそうだから。

でも私が休職するときに師長からこんなことを言われた。

「ゆっくり旅行にでも行って来たら?」

うーん・・。
今すぐ入院するような状態なのに旅行は無いんじゃ・・。
「他人事なんだ」という感覚だけが残った。

よく考えてみれば私は「看護師を辞めたい」わけではなかった。
看護師ではなく「職場を辞めたい」んだなと。

だから私は、転職した。

職場を変えてみて

職場が変われば、全然違う。
これが同じ看護師なのかと(良い意味で)

自分を活かせる病院で働くのが、自分も、自分の周りの人たちも幸せになれる方法だと思う。
逆に自分を活かせない職場は、自分も、自分の周りの人たちも不幸にしてしまう。

これって当たり前のことなんだけど、意外とみんな不幸な場所で頑張り続けている。

看護師を必要としている病院は、とても多い。
今の病院を辞めても、自分を必要としてくれる人は一杯いる。

努力が報われる場所で働けばいいと思う。

終わりに

誰にでも、仕事が辛い時期は来る。

ただし、そこから抜け出せるかどうかは、自分次第でもある。
師長や先輩、病院のせいにしていも何も変わらない。
そもそも他人は変えられない。

だから自分を変えるしかない。
自分の生活だったり、働く環境だったり。

私は食事と睡眠を変え、自分の体質を変えてうまくいった。
さらに働く環境も変え、今はとてもうまくいっている。

食事、睡眠、職場。
看護師を辞めたいほど悩んでいるなら、どれかを変えてみたらいい。

特に職場は最重要。

看護師を辞めたいと思うなら、まずは職場を辞めてみればいい。
看護師を辞めるのは、それからでも遅くない。

看護師に向いてない?「無能」と言われた時の話

「あなたは看護師に向いてない」

ナース向けの掲示板で、こんな悩みを目にした。
その方は、上司からそう言われたらしく、酷く苦しんでいるようだった。

心が痛くなった。

「あなたほどの無能はいない」

私もこう言われたことがある。
当時の私は、仕事に絶望し、人生を悲観し、無力な自分を呪ったのをいまだに覚えている。
たぶんこの方も、同じように苦しんでいるんじゃないだろうか。

でも結論から言えば、私は無能じゃなかった。
無能なのはもっともっと別なものだった。

私がこう思うようになった経緯を書いてみる。
「看護師に向いてない」と言われて苦しんでいる方に届いてくれれば。

無能と言われた職場

9年前。
看護師1年目の頃。

大きな中核病院に入職した。
配属されたのは急性期病棟だった。

でも入職してすぐに辞めたいくらい辛くなった。

終わらない仕事と看護レポート。
主任からの罵声。
この頃は日勤だけだったが、8時から23時ごろまで1日15時間以上拘束され、心も体もキツかった。

その一方で、同期の新人が親切なプリセプターと一緒に、笑顔で楽しそうに働いているのをよく目にした。
死にたかった。

職場は強烈な上下関係で成り立っていた。
一部の先輩たちが幅を利かせ、その周辺に他の看護師が集まるような。
巨大な病院の典型かもしれない。

でも私はその輪に入れなかった。
何をするのも怖くて、何も聞けず、仲の良い同僚もいなくて、いつも孤立して一人だった。

同期が主任や先輩に可愛がられているのが、うらまやましくもあり、辛かった。
私だけが取り残された。

それでも1年間頑張り続けた。

でも3月の人事評価で「あなたほどの無能はいない」と言われて心が折れた。
電車に乗れなくなり、そのまま退職。

私は無能だった。

2つ目の職場

職場を辞め、2か月寝込んだ。
「無能」という強烈な言葉が忘れられず、働くのが怖かった。

それでも「働かなきゃ」という思いで、人材紹介の方に病院を紹介してもらった。

前回とは全く違う、小さな単科病院だった。
医師2人、看護師9人。

この頃はまだ働くのが怖かった気がする。
でも面接のときに師長が「あなたが必要」と言ってくれ、その気になれた。

師長は面倒見の良い人だった。
プリセプターとしても丁寧に教えてくれた。

仕事が楽しいと思えた。

未経験の診療科だったが、看護師としてやっていける自信がちょっとだけ付いた。

11月のある夜。
予防接種でバタバタしていた時期のこと。
その日は60人近くの注射をこなし、ちょっとしたやり切った感の中、後片付けをしていた。
一緒に片付けていた師長と「この病院に来て半年経ちました~」なんて話していたら、「あなたを採用してやっぱり正解だった」と言ってもらえた。

嬉しかった。
期待に応えなきゃと思った。

3つ目の職場

2つ目の職場に転職して3年たった頃。
師長が定年退職した。
ちょうど院長も引退し、息子さんが医院を継ぐことになっていた。

私はこのタイミングで退職することにした。
スタッフが入れ替わり、別の病院になってしまうような寂しさもあった。
でもそれ以上に看護師としての自分を高めたいという前向きな思いがあった。

1か月ほどの転職活動の末、職場は有名な私大病院に決まった。

でもこの職場は今でも思い出すくらい辛い経験になった。

ここはとにかく忙しかった。
患者の重症度が高いこともあったが、看護師の数が圧倒的に不足していた。
ナースコールが処理できず、そのクレーム対応にも時間を取られるような悪循環な環境だった。

その影響なのか、ここの看護師はみんな他人のような感じだった。
最初に働いた病院は、良くも悪くも「女の結束」を絵に描いたような場所だったが、ここは「個人営業」。
みんな一人一人が無関心で、自分の仕事以上のことはしない。

そんな職場で私はミスを連発してしまっていた。
「新人以下」「夜勤はペアにしないでほしい」「人事は看護師なら誰でもいいと思っているのか」と、聞こえるような大声で悪口を言っている人もいた。
ますます萎縮してしまった。
最低限のコミュニケーションしか取れず、1日無言な日もあった。

相談できるような同僚もおらず、ひっそりと退職することにした。

私は無能だった。

4つ目の職場

職場を辞めて、また寝込むんじゃないかと自分自身で思っていた。
でも意外とダメージも少なく、退職後すぐに転職活動を始めていた。
(無能扱いは辛いが、人間慣れる生き物らしい)

人材会社の方にまた連絡した。
2回目の転職でお世話になった人。

「そんな災難があったんですか」
「また頑張りましょう」
なんて言ってくれてチョット癒された。

次は地域密着型の病院。

変わった院長が経営していた。
その院長は、ボランティアとか助け合いが大好きな人で、面接のときも熱く語っていた。

入職してみるとそのボランティア精神は予想以上で、経済的に困っている人にお金を貸したり、仕事を紹介したり、自分の家に住まわせたり、それでも足りなくなくて病院に住まわせるような人だった。何か見返りを求めているわけではなく「困っているから助ける」という単純な動機なようだった。

凄い人だと思った。
私にはとてもできないと思った。

それを躊躇なくやる姿がカッコよかった。

でも院長は、誰でも構わず助けるものだから、そのあおりを受ける一部の病院スタッフからは嫌われていた。
ミーテイングでよく怒られていた。
「また連れてきて!」
「またお金を貸して!」
「だからバカだって言われるんですよ!」

看護師が医師に面と向かって悪口を言っているのは衝撃的だった。
ましてや院長に。
でもそれは「この人なら本音を言っても大丈夫」という信頼関係があるからこそ、言えるものだとわかってきた。

実際に一番文句を言っていた師長は、とても親切な人だった。
さらに言えば院内のスタッフ全員が親切だった。

たぶん院長に影響を受けているんだと思う。

そんな職場だったからこそ、私はまた看護を好きになれた。
いろんな仕事を任せてもらえるようになった。
人生が楽しいと思えた。

無能になる理由

「あなたは看護師に向いてない」

確かに向いてないのかもしれない。

しかし向いてないのは「看護師」ではなく「職場」だった。
具体的には「職場のコミュニケーションが合わない」のである。

これに思い当たる人は多いんじゃないだろうか?

何となく居心地が悪い、何となく話が続かない、何となく興味が持てない、何となく打ち解けられない、何となく好きになれない、何となく合わない。
全てコミュニケーションの問題。

私もそうだった。
コミュニケーションが難しい職場は、孤立してしまい、何をするにも萎縮してしまっていた。
コミュニケーションが上手にできる職場は、仕事が楽しく、自分の力も発揮できる。

無能だと言われても、看護師を辞めてはいけない。
職場を変えればいいだけの話。

不幸中の幸いなのか、看護師はどこに行っても仕事がある。

もちろん職場に馴染めるのであれば、それがベストだと思う。
誰も傷つかないし、誰も損しないし、誰にも迷惑をかけなくていい。

でもずっと続けていける病院なのか?

無理をしても結局は長く続かない。
合わないものは合わない。
人間である以上、相性の問題は避けようがない。

看護師に向いてないと思っている人へ

無能な人間なんていない。
でも人間を無能にしてしまう職場はある。

人は環境次第で、無能になるし、有能にもなれる。

もしもあなたが「看護師に向いてない」なんて言われたのなら、その職場は辞めたほうがいい。

あなたを無能にしてしまう職場だから。

大丈夫。
あなたを必要としてくれる職場はきっとある。

看護師が転職に失敗した理由ワースト5。その傾向と対策

転職に失敗した理由を看護師さんに聞いてきました!
転職を考えている看護師の皆さんこんちにわ!
メディカル調査員の川田です。

ナースは転職の多い職業です。
平均3回以上も転職すると言われています。

でも転職って何かと不安ですよね。

もし失敗したら・・
また同じだったら・・
人生のレールから外れるんじゃ・・

分かります分かります。

でも大丈夫!
「失敗の原因」を知っておけば、事前に対策はできます。

今回は、「転職に失敗した理由」をテーマに、現役の看護師の方に話を聞きいてきました。

そこで分かった、
転職の失敗理由ワースト5と、その対策をご覧ください。

失敗理由:相談しなかった

10年で7回転職

事例 T.Sさん(33歳)
看護歴10年

こんにちわ。
都内に住む看護師です。

私はすでに7回の転職をしています。
公務員試験の予備校に通い人生をかけてまで受かった国立病院ですら、1年もたたずに辞めてしまいました。

やってみなければ分からない。
働いてみなければ分からない。
経験してみなければ分からない。

こんな無鉄砲な考えで、病院を転々としていました。
嫌なものは嫌、合わないものは合わない、ダメなものはダメ。
とアッサリ割り切ってきました。

その結果が10年で転職7回・・。

学んだ教訓は?

誰にも相談しなかったことです。
基本的には、自分のことは自分で決めてきました。
自分に不利益があっても、それは自分の責任ですから。

でも職場を辞めると、病院やスタッフの方にまで大きな負担がかかります。
看護師が1人辞めると、現場は大変。
「申し訳ない・・」と毎回痛いほど感じていました。

転職の失敗を少しでも減らしたい!
そう思い、人に相談するようにしました。

まず職場の上司。
今まで5人くらいに相談していますが、100%反対されます・・(笑)
辞めると一番困る方ですからね。
立場上しょうがないです。
円満退職のために前もって相談しておきたい方ですが、転職相談には向いていません(汗)

無難なのは友達や両親。
気軽に相談できます。
ただ病院や看護に詳しくないため、あまり深い話はできません。

良かったのは看護学校の同期と、人材会社の担当者の方。
やっぱり病院をよく知っている人だと話が早いですし、愚痴も言えます!
特に人材会社の方は、求人事情にも詳しくして、色々と良くしてもらいました。

「おぉ!そこ応募しましょうよ!」
と、イケイケで適当な私。

「もうちょっと情報集めて分析してからにしましょう!」
という、丁寧に求人を集めてくれる人材会社の方。
分析とかしたことねーし(汗)

今の病院を見つけられたのは、人材会社の方のおかげです。
私一人なら間違いなく失敗してた (^▽^;)

改善ポイント


転職は人生の一大イベントです。
客観的な視点で見てくれる人に相談しましょう。
自分一人だと視点が狭くなったり、偏ったりしますので。

ポイントは4つです。
・客観的な意見をくれる
・看護師の仕事を知っている
・医療業界に詳しい
・地域の求人事情に詳しい

一番気軽に相談できるのは、やはり看護師仲間でしょうか。
最近では求人会社に相談する人も多くなってきました。
プロのノウハウを持っていて、地域の事情にも詳しく、親身に相談を受けてくれるため人気があるようです。

ただし職場の方に相談するのは注意が必要です。
客観的な意見をもらうのが難しいですから。
上司の場合は管理責任、同僚であってもシフトの穴埋という不利益がありますので。

客観的な意見をもらえるかどうかがポイントです。

失敗理由:妥協した

バタバタの転職劇

事例 R.Sさん(25歳)
看護歴2年

私は元々ブラックな病院で働いていました。

毎日残業、夜勤も月8回以上(2交代)、休みも月4回取れるかどうか。
さらにはパワハラ師長と、不機嫌全開の主任。

色々と限界で、今すぐに辞めたかった。

ただ頼れる人はいなかった(唯一の家族である父とは絶縁状態)

働きながら職を探すも、なかなか進まず。
ハローワークに行くなんて時間的に無理だし、求人サイトで探す気力も残っていない。

そんな時、たまたま雑誌で見かけた求人に応募したら、内定をもらえた。

いやいや!もっと良い病院があるはず!
けど・・・もうムリ辞めたい!

この2つで迷いに迷うも、結局は早く解放される道に。
逃げるように病院を辞め、新しい職場へ(リハ病棟)

でもその職場も最悪だった。
(↓愚痴多めです)

初日から50人の処置を任されてんやわんや。
引き継ぎや説明一切なし。

フラフラになりつつ休憩室に入ると、悪口大会の真っ最中。
私のことじゃなく、別の人の悪口だったけど人格否定えげつねーなと・・。

帰り際、シフトを見せてもらってビックリ。
今月の休み4日?

その後1か月働くも、おばちゃん看護師の話に入れず、いつのまにかハブられてた。
休憩室に入りびたるおばちゃん軍団。
休憩も取れなくなる。

サボりまくるおばちゃん軍団。
そのあおりを受ける私。

さらにはカルテの改ざん、虐待、バイタル適当(もしかしてやってないかも?)、ナースコールに誰も反応しない(そもそも音が小さい。わざと?)、急な休みで代理出勤、夜勤からの日勤、なぜか試用期間の給料で月15万円(一言も聞いてない)。

転職して3か月目。
20代の若い子が入って、その人と「ここおかしいです!」って話になって一緒に辞めた。

学んだ教訓は?

余裕をもって選べ!(当時の私へ)
これ大事です。

その後、無事に転職できたんだけど、
そのときお世話になった人材会社の担当さんは、
「あの病院は評判悪すぎて、全力で止めますね・・」って言ってた。
以上!

改善ポイント


急ぎの転職は危険です。
多くの場合、不利な転職になってしまいます。

家の購入と同じですよね。
急いで探してもいい物件はない。いい物件が出てくるまで待つのがベストです。

良い求人はなかなか出てこないものです。
人が辞めにくいですし、出回る前に人材会社が押さえてしまいますからね。

転職は3か月~6か月ほど、余裕をもっておきましょう。

どうしても急ぎの場合は、人材会社に登録して、多方面から求人を探してもらいましょう。
様々な場所から求人をかき集めてくれるため、働きながらでも、自分に合った求人を見つけやすいです。

また、
「あと1か月ほどで〇〇病院の求人が出そう」
なんていう情報まで持っているので色々と有利になります。

転職は計画的に!
重要です。

失敗理由:他を見なかった

小さなミスで月4万円の給料格差

事例 B.Yさん(32歳)
看護歴7年

子育て中の主婦です。
旦那がリストラされ、アルバイトになったため、私が正社員として働くことになりました。

働くことになったのは、産婦人科と小児科が併設されたクリニックです。

このクリニックに決めた理由は、便利そうだったからです。
・自宅と保育園の中間
・車通勤OK

「生活リズム的には、このクリニックしかない!」と思い込み、他の病院は見向きもせずここに決めました。

働き始めは大変でしたが、半年ほどかかって仕事にも慣れ、生活を安定させることができました。
クリニックの立地や勤務時間的にも、子供の送り迎えがしやすく、満足していました。

しかし!
ある日、スーパーにあったフリーペーパーを何気なく見て衝撃が!

「え・・他の病院メッチャ給料高いやんけ・・」
「うっそ・・ここも・・」
「うぇ・・うちの給料低すぎ?」

スマホで求人サイト検索!
市内の病院を片っ端から見ると・・。

やっぱりうちの病院給料低い(T-T)

ちなみにうちは額面で月17万円です。
よそ様は20万円越えばかり(もちろんクリニック)
車で10分ほど遠くなるけど、そこは25万円(外来で日勤のみ)

「あー、完全に失敗した・・」

もちろん今から職場を変えるわけにもいかず、今も働いていますが・・。
ボーナスも含めると、年間で100万円近く違いますからね。

モチベーションはダダ下がり。

唯一の救いは、職場が楽しいことでしょうか。
スタッフの仲も良いですし、院長も尊敬できる方です。
でもやっぱり給料は不満です・・。

学んだ教訓は?

クリニックは、給料が安いと思い込んでいました。
完全に1つの病院に絞っていたため、それに気が付かず・・。
他の求人もしっかり比較するべきだったなと。

改善ポイント


働きたい病院が決まっていても、情報収集はしておきましょう。

他の病院と比べるとことで「その病院の良し悪し」が見えてきます。
また地域の給料相場はもちろんのこと、求人の掲載先によって「同じ病院なのに給料額が違う」なんてことも珍しくありません。
さらに、今のスキルや経験で「どんな病院に転職できるのか?」「いくら貰えるのか?」といった、自分の価値を知るいい機会にもなります。

本当にこの病院がベストなのか?

これを確かめるためにも「病院調査」は必ずやっておきましょう。
友人知人、同僚、看護師仲間、人材会社の無料相談、公的な相談窓口などを利用して、幅広く情報を集めることが大切です。

失敗理由:知名度だけで選んだ

有名病院の代償

事例 A.Eさん(27歳)
看護歴4年

私が転職したのは、県内でも知名度抜群の中核病院です。
看護師の育成で全国的にも有名な病院。

ちなみに以前の職場は認知症病棟。ナースというよりも介護ヘルパーという感じでした。

無駄にした2年間を何とか埋めたい、という思いで転職しました。

確かにこの病院は育成カリキュラムが凄く良かった。
1年目、2年目、3年目、リーダー、管理職、といった具合にスキル別に年間のカリキュラムが組まれていました。
内容も眠たくなるような座学ではなく、ノウハウあり、実技あり、裏話ありといった、現場の看護に生かせるカリキュラムを先輩方が教えてくれるスタイル。
付いていくのがやっとでしたが、自分が医療従事者として成長している実感もあり、心地の良い辛さでした。

ただし、その代償も大きいモノでした。

プライベートの時間も、この病院に捧げなければいけませんでした。

委員会の役員が強制され、週2回必ず居残り。
(日勤なのに22時終了)

カンファレンスがなぜか18時からで残業前提。
(医局の調整が大変で、みんなが集まれるのがこの時間だからと)

休み返上の月1土曜の法人グループ全体ミーティング。
(ベテラン勢は土曜出勤だから被害なし・・・)

土日の院外研修や勉強会、学会への強制参加。
さらには運動会、お花見、院内のお祭り、地域行事、ボランティア、選挙応援などが半強制。

もちろん職場の行事は、大切だと思います。
スキルアップしたり、新しいことにチャレンジできたり、院内の方とも親しくなれ仕事がスムーズになりますから。
私自身、自分のレベルアップを目標に転職しましたし。

でも、毎月の休みが2日しかないのは・・・。
周りの看護師は「患者さんの為!」「地域の為!」「病院の為!」と意識が高い人が多く、そこまで思えない自分に劣等感も感じていました。

2年頑張りましたが、異動のタイミングで退職願を出しました。

学んだ教訓は?

「有名な病院」は「良い病院」だと思い込んでいました。
よく調べもせず、内定に飛びついてしまいました。

次は、派遣をしつつ色んな病院を見て回ったり、そこで知り合った看護師とランチで仲良くなって情報交換しました。
大変でしたが、その結果として今は自分に合った病院に転職できました。
成長も感じられ、無理なく働けています。
(お給料もアップした!月32万!)

改善ポイント


有名な病院でもしっかり事前調査はしましょう。

「有名だから、良い病院」とは限りません。病院の社風が、自分に合うかどうかは別の問題です。

この方は、派遣で働いて情報を集めるなど、行動力が素晴らしいです。
ただし派遣だからこそできた方法でもあります。

正社員の方が転職情報を集めるルートは、主に4つほどでしょうか。
・インターネット
・友人や知人
・セミナー等で知り合った看護師
・人材会社

人材会社は、手軽に情報を集められるため、最近人気のようです。
特に派遣も行っている人材会社は、派遣している看護師から情報を聞き出してくれるため、かなり濃い情報が貰えるでしょう。

失敗理由:年収だけで選んだ

高給はデメリットでもある

事例 H.Kさん(29歳)
看護歴7年

当時、父親に借金がありその返済のため、給料重視で病院を探していました。
(カードローンで450万!)

その時に転職したのが、100床ほどの単科病院です。
正直、あまり評判の良くない病院だったのですが、給料に釣られて転職しました。

年収で510万円ほど。
(ボーナス&各種手当&月20時間の残業代込)
東京ならよくある金額ですが、ここは田舎のためハッキリ言って破格です。
(事務の子だと年収200万円ほどの田舎)

とまあ確かにお金は良かったのです。

でも病院の内部がヤバすぎた!
噂を聞いてある程度予想はしていたのですが、想像を超えた酷さ!

ここは日本何だろうか・・、と思うほどメチャクチャな医療でした。

例えば、体位交換は一切なし。
患者さんは寝たきりの方ばかりなのに。
褥瘡できまくり。
しかもその処置は洗浄もせずにガーゼを貼るだけ。

さらには看護師の暴言がすごい・・。
患者さんへの屈辱的な罵声は当たり前。
「アホ」「バカ」「しね」は日常会話的に使われていました。
ご家族がまったく来ない閉鎖的な病棟だったため、こうなってしまったようです。

社会から見捨てられた患者さんの行きつく場所。
そんな病院でした。

もちろん、そういった役割の病院も必要だと思います。
でもあそこは酷すぎた・・・。

結局、1か月勤めて辞めました。
看護師としても、人間としても腐りそうな気がしたので。

学んだ教訓は?

給料を重視しすぎました。
良い話には裏があるのだなと。

次の職場は、年収だけではなく、病院の内情もしっかり下調べをしてから転職しました。
(知り合いと転職サイトから情報をゲット)

年収は430万円と下がりましたが、ふつうに働けています。
父の借金もあと1年ほどで完済できそうです!

改善ポイント


高額な給料には気を付けましょう。
将来性がない、倫理的に問題がある、仕事がきつい、違法スレスレなど、スタッフが長続きせず、お金で人を集めているケースが多いです。

もちろん、利益をスタッフにしっかり還元する健全な病院もあります。
ただしそういった病院は、離職率が低く人が辞めないため、求人がほとんど出てきません。

それでも給料を高くしたい!
という方は、こまめに求人をチェックするか、人材会社に登録しておき、高給な求人が出たら連絡をもらえるようにしておきましょう。

ただし!
一番大切なのは、その病院を見極めることです。
人間には自分に都合の良い情報ばかりを集めてしまう傾向があります。

その病院の悪い面も見るように意識しましょう。
その病院を辞めた人、または現役で務めている人から話が聞ければベストです。

ワースト5まとめ

転職の失敗理由ワースト5をまとめます。

・相談しなかった
視点が狭くなっていた。
客観的な意見をくれる人が大事。
看護師仲間、相談窓口など。

・妥協した
急いで転職してしまった。
正しい判断ができるだけの情報は、最低限確保すること。
普段から情報交換できる看護師仲間を作っておく、急ぎの転職なら人材会社に情報を集めてもらうとよい。

・他を見なかった
その病院の「良さ、悪さ」が分からなかった。
病院を比較し、地域の相場、良い条件、悪い条件、自分の価値を知る。
人材会社から情報を提供してもらうとよい。

・知名度だけで選んだ
「有名だから、良い病院」だと思い込んでいた。
自分で調べて裏付けをとる。
友人、看護師仲間、人材会社などを利用して情報収集するとよい。

・年収だけで選んだ
一部の情報にしか目がいかなかった。
自分に都合の悪い情報も集めること。
その病院を辞めた人に話を聞けるとよい。

最後に・・1番の原因は?

何となくお分かりですよね。

そう。
「情報不足」です。

多くの失敗談に共通するのは「情報が足りず実際に働いてみるとイメージと違った」というシンプルな問題です。

転職の失敗を無くするには、情報収集が一番確実です。
求人票やホームページの情報だけではなく、「実際に働いている人」に「病院の内情」を聞いてみましょう。

「働いてみたら違った」をかなり無くせるはずです。

そのためには、普段からそういった情報ルートを確保しておくのが大事なのです。
日頃の付き合い。

おろそかにしていませんか?

転職は1日にしてならず!
そう。転職はもう始まっているのです・・。

おしまい

追記

「実際に働いている人」に「病院の内情」を聞けない!
ってことありますよね。

看護師仲間が少ない・・・
その病院に知り合いがいない・・・

という方は、人材会社に登録してみましょう。
彼らは日夜データ集めをしており、過去に転職支援したナースからも話を聞いてくれます。

では!

看護師の夜勤専従ってどうなの?経験者12人に聞いたメリット、デメリット

夜勤専従者に聞いてきた
皆様こんにちわ!
メディカル調査員の川田です。

最近、夜勤専従が密かに人気です。

「給料が良い」
「人間関係が楽」
「時間が確保しやすい」

でも本当なのでしょうか?

いえいえ。
夜勤専従はそんなに甘くはありません。

実際に話を聞いてみると、意外な結果になりました。

夜勤専従で失敗したケース

144時間ルールの悪害

T.Mさん(34歳)
看護歴:9年目
夜勤先:急性期

ダンナのリストラ、無職、日雇い生活で金欠になり、ガッツリ稼ぎたくて夜勤専従に。

夜勤専従で働いてみて
楽といえば楽。
うるさい師長も主任もいない。
夜勤メンバーに恵まれれば天国。

夜勤専従の問題点
バイトだから稼げない。
ボーナスが無いし、税金、健康保険、国保で引かれる額が大きすぎる。
手取り40万だけど、手元には27万。
ありえないし最悪。

何で夜勤専従はバイトばかりなのか?

全て144時間ルールが悪い!
このルールがあるから、正社員になれない。

正社員って普通月に160時間働く。
だけど夜勤は144時間に制限される。
つまり16時間(二日分)働けないわけ。
病院からしたら損。

だから正社員じゃ雇えない。
バイトで。
ってなる。

学んだ教訓
144時間ルールは2012年に廃止された。
こんなルール無くなって当然。

でも実際はこのルールを守り続けている病院ばかり。
病院にとって都合が良いんでしょうね。
夜勤専従者を正社員で雇わない口実として。

ジャニオタが夜勤専従になった結果

N.Eさん(29歳)
看護歴:7年ほど
夜勤先:内科病棟(急性期)

私は恥ずかしながら、ジャニオタをこじらせて夜勤専従になりました・・。
ガチのオリキでした・・。
ちなみにJUMP担です・・。
黒歴史・・。

夜勤専従で働いてみて
昼間の予定が立てやすいのが良かったです。
つなぎ着て、ガンガン出待ちしてましたよ!
イエィ!イエィ!
\(^o^)/

夜勤専従の問題点
仕事が大変すぎました。
私は1年ほどで辞めました。
しんどくて・・。
(JUMP冷め期だったし・・)

しんどかった最大の理由は、認知症の方の多さです。
夜でも離床センサーがガンガン鳴ります。
転倒しょっちゅうありました。
内服も多いし、経管栄養も手間がかかるし、点滴をすぐに抜くし、おむつ交換ばかりだし。
朝になればバイタル、採血、食事介助まで。
あああーーーー!!!!

それなのに夜勤配置が少なすぎ。
ナース3人で患者60人。
過労で倒れる夜勤スタッフが出るような職場です。
ちなみに休憩無し、仮眠無しでした。
2交代で夜勤は18時間でしたが、朝になるとフラフラです。
ウエィ!ウエィ!
\(^o^)/
それでも全盛期はこんなノリで出待ち行ってましたが・・。今はもう無理・・。

学んだ教訓
夜勤専従なら、認知症病棟だけは避けてください。
地獄です。
病院さえ選べば、仕事もそこそこ、お給料もそこそこ貰えるはずです。
私は長続きせず辞めましたが、給料だけは良かった・・。
月収40万円超えしたのは、人生の中でこのときだけです。

これから夜勤専従を探す方へ。
病院はジックリ選びましょう!
松潤に担替えじゃー!
イエィイエィ!
\(^o^)/

夜専=ハゲ生活

D.Yさん(46歳)
看護歴:20年目
夜勤先:介護施設

男です。
転職回数多すぎてどこも雇ってくれず、夜勤専従に手を出しました。

夜勤専従の問題点
確実にハゲます。
体への影響大です!
ホルモンバランスが崩れます。

学んだ教訓
私は2年働いただけですが、前髪がかなり後退しています。
今はAGA治療に通っています。
初期費用16万円、月額2万4800円。

辞めたくても次が無いため、無理して続けていますが、このまま薄毛が進むのは絶対に嫌です。
辞めたいです。

病院格差が激しい

T.Mさん(29歳)
看護歴:6年目
夜勤先:慢性期病棟

私は夜勤専従のバイトをしたことがあります。
始めたきっかけは、職場のイジメで鬱になって無職期間があり、徐々に慣れていこうと思ったからです。

夜勤専従で働いてみて
人付き合いは楽でした。
人数が少ないため、ギスギスすることもなく心穏やかに仕事できました。

仕事自体も楽でした。
安定した慢性期病棟だったので。
仮眠が2時間キッチリ取れたり。
ブランクの解消にはちょうど良かったです。

夜勤専従の問題点
正社員の求人が少なすぎる点です。
求人を探してもバイトばかり。
バイトしていた病院も「夜勤専従はバイトのみ」というルールがありました。

それでも粘りに粘って、夜勤専従の正社員を見つけて、就職したのが大失敗でした。

異常な忙しさの職場だったからです。
仮眠が取れないばかりか、体位変換、おむつ交換、徘徊の見守りが永遠と・・。
だからなのか看護師もヘルパーさんもみんなイライラしていて、人間関係最悪でした。
虐待とかもあったし。
私自身、カーッとなることもあって感情をコントロールするのが難しかったです。
その結果、色々と自己嫌悪に陥り、1年で退職することに・・。

学んだ教訓
夜勤専従は病院によって、格差がかなり激しいです。
失敗した病院は、バイト時代と同じ慢性期だったため安心していたのですが、痴呆の方ばかりでこの有様です。
皆様お気を付けて。

夜勤専従は若いうちだけ

I.Bさん(38歳)
看護歴:15年目
夜勤先:急性期病棟(外科系)

元夜勤専従者です(7年間)
借金返済のために、少しでも給料の良い仕事をやりました。
借金は当時350万円。
お礼奉公を途中で辞めたための負債です(激しく後悔)

夜勤専従で働いてみて
給料は良かったです。
人生の中で一番もらっていました。同世代の2倍ほど。
ちなみに正職員です。

夜型人間だったのも、体のリズムは合わせやすく良かったですね。
朝の出勤ラッシュが無いのもGOOD。

仕事もやりがいがあって面白かったです。
だから7年も続いたんだと。

夜勤専従の問題点
やはり体調でしょう。

「お前がババアだからだよ!」

って思いますよね?
いやいや。

年を取ると夜勤は辛くなります。
例外なく誰でも。
私の場合は、35歳が分岐点。
心よりも、体が受け付けなくなるんです。
吹き出物、偏頭痛、疲労の蓄積などで泣く泣く退職。

今は整形外科でのんびり日勤をしています。

学んだ教訓
夜勤専従は若いうちにやっておきましょう。
年を取るとまず無理です。

でも正直わたしは、夜勤専従に未練があります。
やりがいがあったし、シーンとした病院が好きだったし、午前中の買い物も好きだったし。

何よりもあの高額なお給料に未練タラタラです。
350万円の借金を完済し、さらに貯金もガッツリ増えましたから!
私のような趣味のない女だと、7年で1000万円くらいは貯まりましたよ。

失敗したケースのまとめ


ここまでが夜勤専従で失敗した話でした。
体調悪化、正社員になれない、忙しすぎる、職場格差がある、などのデメリットが見えてきます。

でもこれはある意味で「予想通り」じゃないでしょうか。

さて次は、逆に成功したケースを見ていきましょう。
ちょっと意外なケースもありました。
↓↓↓

夜勤専従で成功したケース

ヒマな職場を求めた結果

M.Yさん(26歳)
看護歴:4年目
夜勤先:精神科

精神科で夜勤専従のバイトをやっていました。
理由はヒマそうだから!(汗)
クズです!
でも「お前はクズを自覚しているからまだマシ」と言われています!

夜勤専従で働いてみて
とても楽でした。
精神科の夜はみなさん薬でぐっすりですので・・。
看護師もガッツリ仮眠してました。
最高!

夜勤専従の問題点
シフトが少なかったことです。
精神科は夜勤に入りたい人多いんですよねー。
楽ですし、男性看護師も多いですし、所帯持ちの方も多く稼ぎたいようなので。

だから正職の人も夜勤を狙ってきます(泣)
夜勤の取り合いみたいな。
最終的に自分は「ごめんね~」と軽く言われて退職に。
バイトの辛いところですね!
ひょえー。

学んだ教訓
できればまた精神科で夜勤専従やりたいです。
欲を言えばさらに楽なところで!(クズ!)

人付き合いが楽

E.Gさん(27歳)
看護歴:3年
夜勤先:慢性期病棟

夜勤専従として働いています。
もう6年くらいになります。

夜勤専従で働いてみて
夜勤専従のメリットは多いですね。
給料が高い、仕事が若干楽、生活リズムが安定する、委員会や勉強会が免除される、休みが多い、病院から大切にされるなど。

でも一番のメリットは「人付き合いが楽」という点です。
看護師のつきあい以外にも、先生と関わらなくていいし、患者さんのご家族もいないですから。

正直大変心地良い!
結局、看護師の仕事って「人付き合い」がストレスなんだなと。

夜勤専従になってそれがスパッとキレイに無くなりました。
最近のストレスと言えば、夜食の食べ過ぎで10キロ太ったことです・・。結構深刻・・。ダイエットします・・。

夜勤専従の問題点
でも夜勤専従にはデメリットもあります。
まずやりがい。
「夜勤は単調!」
「人と関われない!」
「担当患者を持てない!」
と言う人もいます。

でもやりがいは自分次第です。
私は「患者さんの異変をいかにして見抜くか!」をテーマに目をギンギンにして夜勤しています。
自分でテーマを決めて働くと、結構面白いですよ。

あと待遇悪化もよく聞きます。
夜勤専従はバイトの人が多いですからね。

でも私は正社員で雇ってもらいました。
給料も高いですし、年金や健康保険などの福利厚生で優遇されますので。
ボーナスもデカいですし。

学んだ教訓
夜勤専従にはメリットもデメリットもあります。
そのデメリットをうまく消せれば、大きなメリットだけを得られる良い仕事だと思います。

男の影響を受けて

H.Oさん(31歳)
看護歴:7年目
夜勤先:老健

老健ナースです。
夜勤専門です。

事情があって昼間に働けなくなり、夜専になりました。
※事情=当時の彼氏が工場夜勤
※現在は婚活中

夜勤専従で働いてみて
夜勤専従で一番の不安は、体だったのですが、何とかなっています。
逆に夜勤だけの方が体が楽ですね。
日勤と夜勤が交互よりも、ホルモンバランスが安定するようです。
顔のニキビも、だいぶん良くなってきました。

あとスケジュールが安定するので、旅行にも行きやすいです。
宿予約してから「うわー、シフト入れられてる-!キャンセルやーん」なんてことが無くなりました。

学んだ教訓
昼間の空いている時間にデートは良かったです(遠い目)
ガラガラの映画館でイチャイチャしたのも良い思い出です(遠い目)

今は別れたため(相手の3股!)、夜勤専従で働く必要性はありませんが・・。
まあ慣れというか、日勤には戻りたくないと言う気持ちもあり、続けています。

経験も積めて、給料も良いし、グチグチうるさい上司もいませんからね。
体が許す限り、続けていきたいと思っています。

個人差はあると思いますが、ご参考までに。
※余談ですが、婚活市場における女は30歳を超えると価値がほぼ無くなりますので、皆様はお早めに!(自虐)

ダメな職場の見極めが大事

B.Rさん(38歳)
看護歴:15年
夜勤先:派遣(急性期、慢性期、回復期、リハ、老健など)

派遣で夜勤専従をやっていました。
家族の介護があり、昼間に働けなかったから。

夜勤専従で働いてみて
夜勤専従はお金、時間、人間関係などメリットは大きいです。
とくに時間。
シフト固定の生活は、長い看護師人生の中でこの時だけでした。

夜勤専従の問題点
ダメな職場も多くあります。

例えば日勤も入れという職場です。
人手不足でシフトが回らないそうで、コレが意外と多いです。

あと「日勤でならしが必要」という病院もあります。
まあ主張は分かるのですが、個人的にはNGです。
日勤までやると家族に迷惑がかかりますので。

学んだ教訓
病院はシッカリ選んでください。
夜勤専従の良さは、生活リズムが安定するところです。
でもその良さを奪う職場もあります。
職場選びには注意が必要でした。

ただし良い職場を見つけられれば、時間に追われる毎日から解放されるでしょう。
お金も稼げます。
外来やクリニックと違ってスキルも身に付きます。
ご参考までに。

アメリカと日本の違い

Y.Mさん(33歳)
看護歴:9年目
夜勤先:急性期病棟(内科系)

私は25歳からの3年間、アメリカの病院で働いていたことあります。

アメリカは、日本と違いとても働きやすかったです。
というのも日勤は日勤のみ、夜勤は夜勤のみと決まっているからです。
1回12時間勤務でしたが、週3勤4休なのもすごい良かったです。
まとめて働いた方が通勤の手間などを考えれば効率が良かったですね。

29歳の時に日本に戻ってきましたが、日勤と夜勤の混在はどうしても馴染めませんでした。
そんなときに夜勤専従の話をいただき、転職しました。

夜勤専従で働いてみて
夜勤専従ってキツそうなイメージですが、体はかなり楽でした。
シフトが一定していると夜勤もそんなに苦じゃありません。
むしろ、みんなが働いている時間に買い物や旅行に行けるので、個人的にはこっちの生活スタイルの方が合っています。

それにアメリカと同じように週4休なので休みが多いのも嬉しいですね。

あと夜勤専従の給料事情を。
正社員か、バイトかで全然違います。
ボーナスも貰えて、福利厚生もある正社員がオススメです。
年収で100万円以上の差になります。

学んだ教訓
アメリカでは夜勤専従が一般的です。
最近では日本でも人気があるそうです。

夜勤専従は、体、給料、時間などいろんなメリットがあります。
デメリットは「関わる人が少なくて寂しい」「人間関係が狭くなる」とよく言われます。
私個人としては、逆に楽なのでメリットだと思っていますけどね(汗)

シングル家庭向けかも

B.Aさん(35歳)
看護歴:13年目
夜勤先:療養

シングル子持ちのため夜勤専従をやっています。
子供は小4。
アパート暮らし。
正社員。
3交代の病院。
準夜専門。
月20日勤務。
毎週水土休み。

15時に夕食を作り、16時に出勤、24時終了という感じです。

夜勤専従で働いてみて
一言でいえば「やってみて良かった!」です。

生活がかなり安定します。
シフト固定できるのですごい楽です。
スケジュールが立てやすいです。
学校行事にもキッチリ参加できます。
やっぱり夜専になって良かったな~、と思えた初めての運動会。

あとお給料も良いです。
準夜勤とはいえ、そこそこの手当ができますので。
月30万~35万くらいです。
貯金できるのが嬉しすぎます。

とは言え最初は怖かったですけどね。
夜、子供を残していきますから。
でも意外と大丈夫でした。
夜遅くなっても帰宅して子供の無事を確認できますので。

学んだ教訓
最近は「準夜勤の専従」のシンママが増えてきましたね。
うちの病院は「準夜勤の専従」が3人もいます(全員シンママ)

働き方に制限がある人は、思い切って夜勤専従なんてどうでしょうか。
生活がガラッと良くなりますよん。

夜勤専従のマメ知識

U.Mさん(35歳)
看護歴:13年目
夜勤先:混合病棟

夜勤専従を10年ほどしています。

夜勤専従で働いてみて
職場による違いはやはり大きいですね。

まず委員会や勉強会、カンファ。
夜勤専従なら、参加を避けたい所です。
昼に出勤するのは厳しいですから。

でも参加有無は病院次第です。
常勤なら必須な所もあれば、夜勤専従者は免除という所もあります。
ぜひ免除を狙っていきましょう。

次に2交代、3交代の問題。
オススメは2交代です。
月10回出勤で、あとは休み!
これデカいです!
ガッツリ働き、ガッツリ遊べます!
夜勤専従なら、その良さを最大限生かせる2交代にしましょう。

3交代であっても、準夜勤と夜勤を通し勤務できる職場もありました。
これなら2交代とほぼ変わらないペースで働けます。

次に人間関係。
夜勤専従になると、人とのかかわりが極端に少なくなります。
ドクターもいないし、患者さんも基本寝ているし、見舞客もいないし、他の医療関係者と連携を取ることもありませんので。
人によってはこれがメリットだという人もいるでしょう。
けど逆に寂しくて日勤に戻るという人も一定数います。

次にやりがい。
「夜勤専従はやりがいが無い・・」という人もいます。
担当を持てないですし、患者さんとの関わりも薄くなりますので。
ただやりがいは人それぞれです。
私は「患者さんを起こさない!」を目標に、静かに素早く手際よくケアしています。
「アー今日は〇〇さんと△△さん起こしちゃったなー」とか反省しながらやってます。
意外とコレが面白いです!

次に給料。
給料は病院によってかなりピンキリです。
バイトだと1回3万円~5万8千円と結構幅がありました(2交代16時間勤務の場合)
正職だと月収30万~50万円とかなり幅がありました。(友人の話も込みで)
でも高給だから忙しいかと言えば、全然そうじゃないんですよね。
逆に「給料低すぎだろ!」って所のほうが仮眠もとれないくらい忙しかったりします。
たいていは環境が悪くて、スタッフの定着率が悪い病院です。
絶対に避けたい所です。

学んだ教訓
色々と悪口を書きましたが、私はいまだに夜勤専従をやっています。
かれこれ10年近くになります。

最近では144時間ルールも無くなり、働きやすくなりました。
私のように昼間に働けない人には良い環境だと思います。
お給料も良いし、煩わしい人間関係も最小で済みますので。

ただし夜勤専従のメリットを活かせるかどうかは、病院によりけりです。
転職をする前にガンガン情報を集めて、しっかり見極めましょう!

まとめ


夜勤専従は確かにメリットが多いようです。
・生活リズムが安定する
・スケジュールが立てやすい
・休みが多い
・お給料が良い
・スキルが身に付く
・人間関係が楽

また「体が楽になった」という意外な意見もありました。
日勤&夜勤の不規則な生活よりも、「夜勤のみ」のほうが体への負担は少ないようです。

ただし夜勤専従には問題点もありました。
・忙しすぎる
・日勤までさせられる
・委員会、勉強会、カンファが強制
・給料に大きな差がある
・仮眠が取れない
・正社員の求人が少ない

デメリットを一言でいえば「病院格差が大きすぎる」点です。

夜勤専従で働くには「病院選び」が大きなポイントになるようです。
「安定した生活、高い給料、ほどほどの仕事量」を得るためにも、
病院を選ぶための情報収集が大切です。

ではどうやって病院の情報を集めたらいいのか?
次はコチラをご覧ください。
病院を調べる一番確実な方法とは?

看護師の残業を比べてみました。多い?少ない?体験談9ケース

あなたは定時で帰宅できていますか?

「残業が多くてツライ…」
「先輩が残っているのに帰れない…」
「無駄な仕事が多すぎる…」

残業って本当に嫌になりますよね。

けどその一方。
定時にキッチリ帰宅できる職場もあったりします。

その違いは何なのか!?

みんなの体験談を調べると、ある傾向が見えてきました。
その結果をご覧ください。

残業が多い看護師

新人看護師に残業はつきもの

B.Rさん(20代)
看護歴:新人
転職先:消化器内科

社会人経験者の新人看護師です。

17時定時ですが、早くて20時に退勤しています。
業務が先輩よりも時間がかかる上、就業時間後にカルテ等の記録をつけることにいつも手間取ってしまうので、どうしても遅くまで残業することになってしまいます。

看護師長には「自分の能力を考えて残業はつけるように」と言われています。
自分の仕事が遅いせいなので、急患等でない限り残業代をつけることはできません。

更には新人が残業をしなくてはいけない暗黙の了解があるらしく、定時で帰る先輩がいても同じように定時で上がることはできません。
一般企業で言えばブラック企業じゃないの?と始めは驚きました。
しかし、看護業界ではどうやらこれが当然のようですね。

まだまだ残業代を貰うほどの仕事はしていないことは確かです。
看護師の仕事をやるからには勉強代だと思って、積極的に取り組むようにしています。
なるべく就業時間内に業務を終えられるよう意識してスキルは磨いていこうと思います。
今のうちにしんどい思いをしておけば、中堅になったときにきっと楽になると信じて今は頑張って夜まで働きます。

訪問看護の事務処理は定時外で

H.Nさん(40代)
看護歴:15年
転職先:訪問看護ステーション

看護師5年目で病棟勤務に疲れ、転職しました。
その後、ブランクを除いて10年ほど訪問看護をしていました。

しかし、訪問看護はサービス残業があまりにも多く、嫌になって辞めました。
訪問件数は1日に7件ほど、休憩時間や移動時間を踏まえず、時間いっぱい組まれています。
ステーションに帰ってくると定時近くで、その後に報告書や計画書等の事務処理があるのでとても定時では帰れません。
残業代もつかないので、サービス残業です。
朝も1時間早く出勤して事務処理を片付けています。

さらに、24時間のオンコール体制で全く休まらない上に手当も付きませんでした。
私は10年近く耐えましたが、私以外は短期間で辞める人が多く、入れ替わりの激しい職場でした。
結果人手も足らず、一人あたりの負担が増えるという悪循環が起こっていました。

正直、働きやすさは上司によるところが大きいと思います。
休憩時間や事務処理の時間も考えてスケジュールを組んでくれるかどうかです。
私は別の訪問ステーションに転職しましたが、やはり面接時言われた時間や件数とのギャップがあったので結局退職するつもりでいます。
スタッフ同士の人間関係で悩むことは少ないですが、残業については入ってみないとわからないことが多いのが訪問看護の難しいところですね。
近々病棟にパート勤務で転職する予定です。

残業+深夜勤の日がツライ

M.Mさん(20代)
看護歴:5年
転職先:急性期病棟

急性期病棟勤務です。
私の職場では、オーダリングと紙カルテの2つを業務時間後に書かなくてはなりません。
なので、定時で帰れる日はほとんどありません。
1時間早出して、帰りは2時間ほど残業します。

特に、パソコンでオーダリングの入力を行うので、医師がパソコンを使っているときは終わるまで待たなくてはいけません。
これは本当に非効率だと思うので改善してほしいところです…。

電子カルテのように業務時間の合間に少しだけ打ち込んでその都度保存できたらいいのですが、紙カルテとなると時間もかかってしまい、どうしても業務時間後にまとめて記入することになってしまいます。
そもそも業務時間内にもまとまった時間は取れませんし、忙しい業務中に事務作業なんてできない雰囲気です。

三交代なので、深夜勤の日は本当にしんどいです。
せっかく家から近い病院に勤めているのに、少ししか仮眠できずにすぐ出勤です。
プライベートな時間が全く取れず、ストレスが溜まっています。

遠くの病院に勤めていた時の方が断然早く帰宅できていました。
今の仕事にもやりがいは感じますが、あまりに息が詰まるので正直転職を考えることもあります。
せめて二交代の病院がいいと思っていますが、どこの病院に勤めても定時で帰れるということはないだろうなと諦めています。

ダラダラ残業する雰囲気の職場

R.Aさん(30代)
看護歴:7年
転職先:内科

転職して3年目です。
この病院では新人もベテランも毎日残業が当たり前な雰囲気です。
前の病院はなるべく早く帰ろうという雰囲気があったので、このギャップに戸惑っています。

定時になると私は急いで仕事を片付けようとするのですが、他の人たちは誰も早く帰ろうとはしません。
それどころか、ほっと一息ついてからのんびりと事務処理を始めます。
だらだらと雑談交じりに残っていて、とても非効率に感じます。
緊急手術でもない限り残業代もつかないのだから、少しでも早く帰って自分の時間にした方がいいと思うのですが…。

それを見ている新人も同じように、だらだらと残業しています。
「先輩が残っているのに帰りづらい」というよりは、同じように新人同士でおしゃべりしながら丁寧にやらなくてもいい仕事を丁寧にやっているだけのようです。
このままでは来年も再来年も同じように新人が育ってしまうという危機感を覚えます。

本当に仕事ができる人というのは、数多く業務の中で丁寧にすべき仕事とそうでない仕事を見極めて、上手く手を抜きながら手早く済ませられる人だと私は思っています。
なので、私は後輩には事務処理はさっさと終わらせて早く帰るように声をかけていますし、私自身も勤務中からすきま時間に少しでも記録を取って、早く仕事を終わらせることに集中しています。
とはいえ、ベテランさんたちはすでに残業が習慣になってしまっているようで、この職場の雰囲気は私一人では変えられそうにありません。

残業が当たり前の大学病院

N.Iさん(30代)
看護歴:16年
転職先:大学病院

大学病院で働いている看護師16年目です。
新卒から大学病院で働いていましたが、体力的に大変だったので一度転職したことがあります。
しかし、結局物足らなくなってまた別の大学病院に転職して今に至ります。
今は毎日1時間ほどの早出、業務時間後には2時間前後のサービス残業をしています。
やはり大変ですが、やりがいを感じて働いています。

大学病院は研究機関ということもあり、慌ただしい現場ゆえ残業は当たり前だという風潮があります。
患者の回転が速く、重症度も高いです。
日中も座る暇なく忙しいので、カルテ記入などの記録作業はできません。
残業してもほとんど残業代は出ませんし、勉強会で休日に出勤することもあります。
おそらくどこの大学病院でも、同じような環境だと思います。

始めはこの慌ただしさに目が回る思いでした。
しかし、身につく知識や技術もその分多いのだと公立病院に転職した時に初めて気が付きました。
今では不満よりも様々な仕事を覚えたい、スキルアップしたいという気持ちの方が大きいです。
多少の残業があっても、看護師としての力をつけたいハングリー精神のある人には大学病院は良い環境だと思います。

単純に忙しいだけでなく、職場の雰囲気や上司によっても残業の多さは決まってくるようです。
残業が理不尽に多いのか、やりがいがある分多いのかも職場によってまちまちですね。

また、新人看護師には特に残業はつきものだという話もありました。
始めのうちは、スキルアップのための先行投資だと思って取り組む姿勢も必要なようです。

残業が少ない看護師

定時上がりに力を入れる職場

N.Hさん(30代)
看護歴:12年
転職先:クリニック

現在12年目の看護師です。
私は何度か転職していますが、今の病院の前に働いていた総合病院だけは、基本的に定時で帰ることができました。
業務改善委員会が時間外労働をいかに減らせるか熱心に取り組んでいたからです。

早出も禁止され、時間内で業務を終わらせることを徹底していました。
なので、定時1時間前からは慌ただしく、先輩たちと声を掛け合って残った業務を分担していました。
研修も業務時間内にあることが多く、残業になっても残業代が出ました。

もちろん急患があれば定時を過ぎることもありますが、普段がこのような労働環境なので誰も文句を言いません。
ここまで熱心に委員会が力を入れているのも珍しいと思いますし、新人もおらず、病床数も人員に対して多くなかったのでできたのだと思います。
残業の有無は入職してみなければわからないし、急性期病棟ではよほど運が良くなければ残業のない職場には当たらないです。

現在はクリニックで働いています。
時給で働いているので、今も無駄な残業なく早く帰るように言われています。
確実に残業を避けたいのであれば、少なくともパートで探すしかないと思います。
パートでもサービス残業をさせられるところもあるようですが…。

働いた分だけの残業代はもらえました

I.Rさん(20代)
看護歴:7年
転職先:外科病棟

病棟勤務7年目です。
新人時代は残業1時間くらいしていました。
やることといったら記録くらいで、必要最低限でした。
他と比べると少ない方だと思いますよ。

新人は残業代をつけない暗黙の了解がありました。
その代わり、即入などイレギュラーで忙しかった時は「今日はみんな残業つけていいよ」と師長に言われました。
働きの分だけつけさせてもらえると思えば、まだ仕事に不慣れな分は残業がつかないことも納得できましたし、新人は誰も不満を言いませんでした。

二年目以降も、「今日は忙しかったよね頑張ったよ」ねって日はみんなで残業をつけてました。
逆に自分の力が及ばず仕事が手間取っただけのときには、残業はつけませんでした。
師長も「残業が多いと能力が低いチームって思われるからね~早く帰りなさいよ~」とよく言ってました。
その通りだと思いますし、その分やはり連携の取れた雰囲気の良い職場でした。

しかも働いた分だけきっちり手当をもらえる職場なんて、なかなかありません。
師長や先輩たちに恵まれていたのだと思います。
他の病院ではなかなかこうはいかないでしょうね。

勤務時間優先で転職しました

U.Bさん(30代)
看護歴:15年
転職先:急性期病棟

急性期病棟ばかりいくつか転職しています。
最初の職場では前後残業合わせて月に120時間くらい残業していて、心身ともに限界がきたので転職しました。
それからは転職するときは労働時間を一番に選んできたので、今の職場では残業がほとんどありません。

最初の職場では何故残業が多かったのかというと、新卒が一気に入ってきたからだと思います。
先輩たちも慌ただしく、何もわからない新人を教えるストレスでピリピリしていました。

なので、大量に新卒を採用するような看板の大きな病院は避けて転職活動をしました。。
大学病院の近くにあって患者があまり多くないような病院で、さらに新卒にはあまり人気のなさそうな地味な分野を選んで病院見学をしました。

おかげで今の職場は経験のあるナースが多く、ピリピリした雰囲気もありません。
夕方になると、受け持つ患者さんの重症度に合わせて、お互い仕事を割り振ります。
即入があれば手の空いている人全員が関わるし、切り替わりの時間なら遅番の人が対応してくれます。
定時で帰れるよう協力し合う雰囲気があって、とても良い職場だと思います。

定時上がりできるような病院の方が少ないのが現状です。
しかし病院見学をしっかりして探せば、少なくとも理不尽なサービス残業からは抜け出せると思います。

残業はないけど…

K.Kさん(30代)
看護歴:8年
転職先:精神科

精神科で働き始めて2年が経ちました。
以前は急性期病棟に勤めておりましたが、出産を機に残業のない精神科で復職しました。
スタッフ同士の人間関係も良好で、子どもの熱で急遽休んでもお互い様という雰囲気です。

しかし、仕事内容にはやりがいを感じられないこともあります。
今勤務している精神科では処置をすることが少なく、独特なゆったりとした雰囲気で緊張感がありません。
看護技術が落ちているような気がして、将来的に他の科に転職した時についていけるのか不安になります。
こんなことを考えるなんて、よっぽどバリバリ忙しく働いているほうが自分の性に合っていたんだなと気が付きました。

精神科は患者さんとの関わり方も特殊であり、決して楽な職場というわけではありません。
しかし、精神科に限らない看護師としてのスキルアップを考えるとこのままでいいのかという気持ちにもなります。
私は、残業も当たり前にあった急性期で忙しく働いていたときの方が技術面や体力、精神面でも鍛えられていたように思います。
しかし、今は家庭と仕事の両立が一番だと考えているので、しばらくは残業のない精神科で頑張っていくつもりです。

こちらも、「協力して終わらせよう」という雰囲気の職場がある一方で、忙しさが少ない分やりがいを感じにくいところもあるようです。

まとめ

残業が多い看護師と少ない看護師の体験談をそれぞれ紹介しましたが、いかがでしたか。

残業の多い・少ないを決める要因として、一つは「職場の雰囲気」が挙げられます。
実際に働いてみないとわからないところですが、これから働く病院を決める人は、病院見学をする際にぜひ注目してみてください。

残業があってもスキルアップの見込める職場で働きたいか。
それとも定時で帰れる職場で自分の時間も十分に確保して働きたいか。
自分の理想とする働き方を考えた上で、自分の求める看護師の仕事よりもオーバーワークだな、対価が支払われていないな、と感じたら、次の職場を探すことを考えてみてもいいかもしれませんね。

看護師が体験した病院のオープニング求人から死ぬまでの話

病院の死
みなさんは病院に寿命があることを知っていますか?

病院は死にます。
もちろんそうじゃない病院もあります。延命に延命を重ね、色んな細工をしながらもボロボロのツギハギ状態で存在しています。

でもまともな病院はいずれ死にます。
これは悲惨な話ではなく、日本の医療の限界であり、自然な結末です。

こういった話は、経営者やドクター目線でたまに聞くことができますが、看護師目線の話は今までに聞いたことがありません。

そこで「末端の医療従事者の目線」で「病院が産まれてから死ぬまで」の話を書いてみることにしました。
医療に関わる方々に読んでいただければ幸いです。

病院が産まれたとき

私がまだ看護師3年目で20代だった頃。

とある地方都市のオープニングスタッフ求人を見つけた。
80床ほどの小規模な病院。

応募してからはスルスルと話が進み、1か月後には病院の隣に併設された寮に入居していた。
職場は物がまだ何も置かれておらず、どこもガラガラだった。建物と棚だけのまっさらな状態。

開院までの1か月は、準備でてんやわんやだった。
段ボールに入った備品を取り出し、管理番号のシール一つ一つ丁寧に張り、棚に並べていく。
新しい医療機器がドンドン運び込まれ、業者の説明会には数えきれないくらい出席した。無機質な分厚いマニュアルを何度も読んだ。

開院1週間前には、内覧会があり、模擬演習も始まった。
人手が足りず、まだ若かった私までもが地域内の町内会や老人会へのあいさつ回りに行かされた。

休みもなく、定時もなく、朝も夜も働きづめだったけど、初めてのことばかりで楽しい時期だった。
医師も看護師も療法士も事務員もみんな一丸となっている連帯感が心地よかったのかもしれない。

一年目

オープン当初は内科、消化器科、外科、リハビリテーションの4つの診療科でスタートした。

初めは外科が繁盛した。
地域に外科が不足気味していたため、想定通りでもあった。

ただし外科には問題もあった。
治ったらサヨナラの世界であり、患者が継続的に来院しない。
病院の経営は不安定だった。

それでも1年目はみんなが必死で頑張り、外科を中心にそれなりに繁盛したと思う。

二年目

外科に集まった患者をリハビリテーションに流すようにした。
リハビリテーションは、点数が高く儲かる診療科だった。しかも外科と違って継続的に来院してくれる。
さらに当時は医療機器を使った物理療法の点数が高めだったこともあり、病院の経営が一気に安定した。

三年目

小児科を開設した。
小児科は、今も昔も儲からない。
それでも開設したのは、小児科が病院の評判を上げてくれると見込んでのことだった。
それが見事に的中し、新しい病院で若い医師をそろえた小児科は、地域のお母さんたちのネットワークであっという間に話題になった(当時はSNSがなくリアル口コミで広がった)
病院に来る患者は、年寄りだけじゃなく、若い人たちも増えた。

さらに当時はまだ珍しかったスポーツ障害専門のリハビリチームも作った。
若いスポーツ選手が集まるリハビリセンターは、看護師の人気も高かった(結婚が何組もあった)

若い患者さん、若いスタッフが集まれば病院がさらに活気づき、医師や看護師、薬剤師、技師、療法士などのスタッフが一気に集まってきた。

五年目

院長の念願でもあった1次救急を始めた。
交通事故の患者を乗せた救急車が毎日くるようになり、病院はさらに活気づく。
休日夜間急患センターと小児初期救急センターにも指定された。
優秀な医者が集まるようになり、高度な医療ができるようになり、2次救急をたらい回しにされた重症度の高い患者さんも受け入れられるようになった。

十年目

病院は、リハビリ棟、クリニック棟、入院棟を増設。
皮膚科、泌尿器科、眼科、耳鼻科、心療内科、歯科といった診療科が増えていた。
CT、MRI、RIなど大型の最新機器も導入した。
地域中核災害医療センターに指定され、名実ともに地域の基幹病院になった。

病院の絶頂期。

十五年目

この頃から少しずつおかしくなっていった。

まず問題になったのが大量発生した高齢者だった。
市の「移住政策&老人ホーム誘致」の結果、地域には高齢者が溢れていた。
「病院の隣」をキーワードにして集客した有料老人ホームから、毎日のように患者がやってきた。
しかも老人ホームの常駐医が帰宅した夜間ばかり。
「熱が出ている」「咳が出ている」「発疹が出ている」
そんな些細なことで夜間受診し、「心配だから1日入院させてほしい」と懇願してくる。

さらに追い打ちをかけたのが地域のモラル低下による24時間コンビニ受診。
「肩が痛い」「夜ならすぐに診てもらえる」「頭痛薬がほしい」「眠れないから睡眠薬がほしい」「昼は仕事だから夜に」
こんなどうしようもない理由の夜間受診が本当に増えた。

この頃は二次救急に指定されていたが、重症の急患を受け入れる余裕がなく、その役目を全く果たせていなかった。
医者も看護師も消耗していた。

二十年目

救急が完全に崩壊した。
その結果、救急の子供が来ても1時間以上待つのが当たり前になり、お母さんネットワークで悪評が一気に広まった(この頃はSNSで口コミが広がった)

評判の悪い病院は、患者も集まらないが、スタッフも集まらない。
しかも悪いことは重なり、ちょうど「7対1看護」が始まった時期でもあり、看護師の確保がとにかく大変だった。

10対1を守るので精一杯。

その一方で周りの病院は7対1をとっていた。
ただその実情は「イカサマ高度急性期病院」ばかり。
重症患者はいつもうちに流れてきた。

重症患者を受け入れず、高度急性期のかけらもない病院が、7対1。
地域のためにと長年にわたり救急患者を受け入れてきた病院が、10対1。
看護師の数をそろえるだけの、マネーゲーム化した制度に何の意味があるのか。

国はその対策として「24時間救急またはICUが無ければ7対1を認めない」とした。
でも抜け道が多く、在宅復帰率や重症度をコントロールすればどうにでも操作できてしまう。

結局、救急を閉鎖した。
不採算だった小児科、皮膚科、泌尿器科、耳鼻科、心療内科、歯科も閉鎖した。
かつての稼ぎ頭だったリハビリテーションは、国の政策で診療報酬を一気に削られ、閉鎖こそ免れたものの、リハビリ棟が廃館となり、規模を縮小し一般病棟に併設となった。
若くて優秀な多くのスタッフが去った。
繁栄した当時の面影は見る影もない。

こうして病院は死んだ。

地域の基幹病院であっても国の政策が変われば、死んでいく。
まじめにやっている病院ほど追い込まれ、死んでいく。
スタッフの努力も虚しく、死んでいく。

国の医療政策は2年ごとに見直され、そのたびに二転三転している。

その変化に着いていけるよう、病院も変化しなければいけない。
そのためには大きな病院よりも、小回りの利く病院がいい。
実際に最近開院するのは、小さな病院ばかりだ。

そういった小さな病院が求められる時代なのかもしれない。

でも、
大きな病院でしか助からない患者が一定数いる。
大きな病院でしか継承できない看護スキルがある。

それでも病院は死んでいく。

これが看護師の私が体験した、とある病院のオープニング求人から死ぬまでの話である。

精神科は本当に楽?転職した看護師の事例19ケース

精神科で働く女性看護師が眠たくなっている所
精神科は仕事が楽!
精神科は簡単!
精神科はのんびり!

「看護師に疲れたら精神科で楽をしよう!」

いえいえ。
精神科はそんな甘くありません。
実際に精神科で働いている看護師を調べたところ、意外な結果になりました。

精神科が酷だったケース集

ムチャクチャな患者さん達

Y.Kさん(30代)
精神科(急性期)

わたしは、精神科病棟に勤めていました。
患者さんにシッカリ向き合えると思ったからです。

しかし何のために看護をしているのか、分からなくなりました。

治安の悪い地域のためか、患者さんたちがムチャクチャだからです。
アルコール中毒で繰り返し入院してくる患者さん、覚せい剤を乱用して廃人になった患者さん、障碍者認定を受けるために精神病を装う患者さん、生活保護を受けて好き勝手飲んで食べてを繰り返す患者さん。
さらにはスタッフに暴力を振るう患者さん、自殺を脅迫に使う患者さん、退院したその日に自殺する患者さん、気に食わない看護師の制服を切り刻みそれをヒモにして自殺する患者さん。

回復して退院していく患者さんを見るのはこちらもうれしいし、患者さんの頑張りに感動することすらあります。
でもそれ以上に「守る必要があるのか?」と思ってしまう患者さんばかりです。

スーパー救急の悲惨な現状

M.Kさん(20代)
スーパー救急(精神科)

わたしは大学を卒業後、市立病院の内科に勤めていました。
4年目でスーパー救急に転属しました。
内科に比べて手当てが良かったため自分から志願しました。

しかし今は死にたいくらい後悔しています。

患者さんが狂暴すぎるからです。
「刺したろか!」「お前の名前覚えたぞコラー!」「どつきまわすぞ!」と毎日のように暴言を吐かれます。
唾をかけられたり、殴る振りをされたり、突き飛ばされたり。
矢面に立ってくれていた男性看護師が殴られて前歯を折られ、止めに入った医師が耳を一部噛みちぎられ、警察沙汰になって退職者が続出です・・・。

スーパー救急は、こういった患者さんが集まる場でもあります。
でもさすがに限度を超えており「24時間警備員を付ける」「警察署の隣」くらいでなければ、とても働ける環境じゃありません。

ここ数年の精神科の現実

年齢:50代
看護歴:28年
転職先:精神科病棟

最初に。
慢性期の精神科の話となります。

私は20代の頃から精神科で働いて、もう30年くらいになります。
昔の精神科は、その内情を公の場で書けないくらい、酷い所でした。
私が精神科に異動になった時は、同期から慰めの言葉をもらったくらいです。

でも今は昔とは違い、綺麗なイメージがあるのでしょうか。
若い方も志願して精神科で働くような時代になりました。
確かに病棟はキレイになったし、閉鎖的だった体質もオープンになりつつあります。
さらに言えば、看護業務も負担が少なく、精神科独特のゆったりした空気が流れています。
それゆえに医師やナース、介護スタッフ、患者さんの関係も良好です。

しかし精神科は、ここ数年でかなり様変わりしてきました。
まず肉体労働がかなり増えています。
というのもADLが低下した患者さんばかり入院してくるからです。
以前はADLが比較的良好な方ばかりでした。
でも今は、急性期の精神科から溢れてしまった患者さんも受け入れているため、ADLが悪化しているのです。
食事、移動、排せつ、入浴、清拭。全てに介護が必要になります。
もちろん介護ヘルパーさんを補充して対応はしていますが、コスト面で限界があります。

以前のような楽な精神科というのは、少なくなっているじゃないでしょうか。
これが今の精神科の現実です。

精神科は看護師も病む

転職先:精神科クリニック
年齢:20代(男性)
看護歴:4年

私は新卒で慢性期2年、転職して精神科で1年働きました。

精神科は楽しい所でした。
患者さんは、純粋な方が多くて癒されるし、いろんな方がいて考え方の幅が広がるし、面白い方が多いし。
患者さんの生活を支えるという意味でもやりがいのある職場です。

でもその一方、非常に厳しい環境でもありました。
「人生に絶望した」「人類なんて地球に必要ない」「辛い」「苦しい」「死にたい」「ころしてくれ」と、毎日聞かされたら精神が摩耗します・・。
毎日、毎日、同じ話を1時間以上も聞くのは、本当にきつかった・・・。
一部の看護師は、一生懸命患者さんと向き合っていましたが、「私にはそこまで出来ない」と劣等感も感じました。

結局今は外科の急性期で働いています。
ゆったりした精神科とは違い、毎日バタバタです。
でも私にはこっちのほうが合っているのかなと。

人それぞれですよね。
何事も経験かなと。
辞めたくなったらやめてみるのも良いし、新しい環境で働いてみて初めて自分が分かることもあると思います。

新卒に精神科はオススメできない

転職先:精神科
年齢:20代
看護歴:5年

私は看護学校卒業後、精神科に配属されました。
希望は脳外科だったのに・・・。
今は精神科で5年目です。

精神科は新卒で入らないほうがいいです。
心のケアは上手になりますが、身体疾患のスキルは素人のまま、成長してないです。
これが結構困ります。
例えば、患者さんが不調を訴えても、心の問題なのか、体の問題なのか判断が付きません。将来の転職も心配です。

私は精神科で5年たちますが、いまだにベテランの方に判断を仰ぐことも多々あり、一般病棟を経験したいと思っています。

激務な精神科もある

転職先:精神科救急入院料病棟
年齢:20代(男性)
看護歴:6年

とある県の精神科救急で働いています。
外来1日約180人、時間外救急1日約10人のかなり大きな規模です。
(いわゆるスーパー救急病棟です)

前提として、精神科の仕事が楽かどうかは、慢性期か急性期かによって全然違います。
(あまり知られてませんが精神科にも慢性、急性があります)

まず慢性期の精神科なら、皆さんが言われている通り楽だと思います。
のんびりと患者さんに向き合って働けるでしょう。

でも急性期や救急は、全然楽じゃありません。
初めて精神科救急で働く方は、発狂、暴言、暴力、自傷、拘束処置など色々と衝撃を受けると思います。
人間ここまで豹変するのか・・と。

また急性期の精神科は、日常生活が自分でできない方も多く、介護負担も大きくなります。
さらに精神以外の疾患や合併症を持った方も多く、一般病棟レベルの看護も必要になります。

楽な仕事を求めるのであれば「慢性期の精神科」を選んでください。
急性期やスーパー救急は、激務です。

精神科看護師のやりがい

R.Mさん(25歳)
看護歴:3年目
転職先:精神科(慢性期)

精神科に勤務して1年目です。
昔から精神科に興味があり、患者さんの助けになれればと思い、希望して入職しました。

結論から言えば、やりがいを感じていません。

精神科の看護に何の意味があるのか?
喋りかけると妄想が酷くなるため、何十年も保護室に入っていて、治療の見込みのない患者さんが沢山います。
保護室を出られたとしても、それは薬の力でしかありません。総合失調病の患者さんは大量の薬を服用し、ジプレキサを筋注までして、ようやく落ち着いた状態です。
薬で正気が抜け落ちてしまい、寝たきりの胃ろうの方もいます。
おそらく一生外出することもできないでしょう。
生きている意味があるのかな・・・、なんて思ってしまっています。
そんな患者さんに対して看護師の役割って何だろうと。

患者さんが分からない

N.Tさん(37歳)
看護歴:8年

主婦です。
復職で精神科に入職して半年ほどです。
この病院を選んだのは、残業なしの職場を探していて「〇〇病院の精神科は残業が無い」と噂を聞いたからです。

でも精神科は自分に合ってないのかもと思い始めています。

統合失調症の患者さんは、半年たった今でもよくわからないからです。
男性の患者さんで目が合っただけで殴りかかってくる人がいます。返事を返さなかっただけでも殴りかかってきます。正直どうやってコミュニケーションをとったらいいかわかりません。その男性の近くにはなるべく近づかないようにしています。
またマニュアル通りの対応をしても、急に幻覚が激しくなり、興奮して拘束になったりします。
自分がきっかけで四肢拘束されている患者さんを見るたびに「どうしたらよかったんだろう」って悩んでしまいます。

確かに精神科は残業が少なくて、主婦の私にとってありがたい職場です。
ただ患者さんのことが本当によくわからないです・・。
勉強しても勉強しても、患者さんによって症状も対処法も全然違いますので。

ここまでのまとめ
精神科は楽じゃない!
精神科で働く看護師に聞いてみると意外な答えが返ってきました。

しかしその一方、
精神科は楽だ!」という意見もありました。
次はコチラをご覧ください。

精神科が楽だったケース集

精神科に転職して正解

転職先:精神科病棟
年齢:20代
看護歴:7年

私は新卒で混合の急性期に入り、2年後に精神科に転職ました。
今、精神科で5年目です。

結論から言うと精神科に転職して大正解でした。
まずスタッフの人間関係が良いです。
おそらくですが、仕事が楽で余裕があるため、ほんわかした雰囲気になっているからだと思います。
というのも今の精神科病棟は、日常生活に問題のない軽めの患者さんが多いんですよね。
夜勤も仮眠が2時間しっかり取れるし、徘徊や妄想、暴力もないから、本当にいるだけって感じです。
一般病棟の戦場みたいな忙しさとは本当に別世界。

今の精神科は、定年まで働きたいと思えるくらい良い職場です。

昔の私は、役立たずキャラでした。
でも今の精神科では、内科にも外傷にも対応できる万能看護師として頼られています(自分でいうのもなんですが・・)
一般病棟ではパッとしない人でも、場所が変われば重宝されることもあります。
一般病棟で何年か働くと、知識もスキルもかなり身に付いていますので。

誰かの役に立ちたい!って人には、精神科が絶対にオススメです。

外科経験ありの看護師は歓迎される

転職先:精神科病棟
年齢:30代
看護歴:5年

ずっと外科系の急性期で働いてきましたが、疲れて精神科に転職。

最初は、精神科なんて看護学校の実習以来で不安でした。
実習で色々と酷い病棟を見たので・・・(汗)

でも精神科は、予想以上に自分に合っていると思いました。
まず医師がいて、キッチリ指示してもらえるため、対応に困ることは少ないです。
一番不安だった夜勤も、不眠とせん妄の対応中心でしたが、患者さんごとに対応マニュアルがあるため、仕事しやすい環境ですし。

また私は外科経験が長かったため、急変した患者さんに対応できる看護師としての居場所もありました。
だからといって天狗になるのはダメですね。
精神科は、急性期以上に看護師間の連携が必要だからです。
患者さんの小さな変化もシッカリ報連相する。
これがとても大事です。

あと精神科は人間関係が本当に良好です。
理由は看護師の男女比率が半々、仕事が比較的楽、定時上がりできるなど、環境の良さじゃないかと思います。

最後に一言でまとめると「精神科はとても働きやすい」ということです。

精神科はのんびり

転職先:精神科
年齢:40代
看護歴:15年

昔、精神科病棟で働いていました。

精神科は、急性期や慢性期病棟とは違って、のんびりしたところでした。
患者さんは、基本的に見の周りのことが自分でできるし、急変なんてほとんどないですからね。
医療行為は、採血とバイタル服薬管理くらいでしょうか。
夜勤も睡眠薬を処方しているためみんな寝ているので、老健よりも楽なくらいです。
たまに叫び声が聞こえてきますが、普段は静かなものです。
命のやり取りも無いからプレッシャーもほとんどないですし。
残業も無く、シフト調整もしやすく、有給も取りやすい。
看護師にとっては夢のような職場かもしれません。

ただし大きな欠点が。
それは看護スキルが退化する点です。
ほとんど看護をしないため、精神科が長くなればなるほど、病院には戻れなくなります。
ずっと精神科でやっていく覚悟があればいいですが。

私は看護師として生きたいという気持ちもあり、2年ほどで精神科を退職しました。
今は急性期に戻り8年目で師長をやっています。

精神科は看護師にとっては夢のような職場かもしれません。
ただその一方で物足りなさや、自分がなりたかった看護師とのギャップに苦しむかもしれません。

と言いつつも、50歳くらいになったらまた精神科に戻ってゆっくり仕事をしたいですね。

精神科は専門性が高い半面・・

転職先:精神科
年齢:30代(男性)
看護歴:11年

私は急性期で5年働き、精神科に転属しました。

精神科は、思った以上に専門性が高い診療科だと感じています。
まず薬が多く覚えるのが大変です。精神科は薬物療法が多いです。

患者さんとのコミュニケーションも大変です。話を聞くだけなら看護師じゃなくてもいいのですが、そうじゃないんですよね。
患者さんが問題解決できるように、話を聞かなきゃいけません。患者さんとの距離感だったり、こちらが判断しちゃダメだったり、言葉の言い回しだったり、そもそも常識と思っていることが双方で違っていたり。
コミュ力はかなり磨かれます。
さらに患者さんの状態によっては、筋肉注射も結構ありますし、せん妄状態になった方への身体管理なども、独特のスキルが必要になります。

ただその反面、誰にでもできてしまう業務が多いのも事実です。
まず精神科には、雑用が多くあります。
患者さんの買い物や、お金の管理、身の回りの物の管理、レクリエーションの準備。
最近は、重度の方が多くなったこともあり、入浴、整髪、歯磨き、排せつ誘導などのセルフケアも多くなってきました。

精神科は、突き詰めれば専門性が高いといえます。
でもその一方で、誰にでもできてしまうのも事実です。

ということもあり、実際の現場ではガツガツ向上していこうという雰囲気ではなく、まったりのんびりやっていこうよという看護師が多いです。
そもそもですが、志が高い看護師はあまり精神科には来ないです。
どちらかと言えば、少し楽をしたい看護師が集まるようです。私を含めて・・汗

精神科と言っても様々

転職先:閉鎖病棟
年齢:30代
看護歴:7年

私は新卒のころから、精神科一本で働いてきました。

まず精神科の傾向としては、一般の病院と同じです。
急性期ほどバタバタ忙しく、慢性期ほどのんびりモード。
病棟は夜勤があり、クリニックは日勤のみ。
閉鎖は重度の方、解放は軽い方。

ただ精神科と言っても、急性期、慢性期、病棟、クリニック、閉鎖、解放、男性、女性で看護師の業務内容は全然違います。
忙しさは、スタッフの配置数や病院の方針によって変わりますし、最近の医療費抑制、高齢化の影響で、重度の患者さんでも慢性期に押し込められ激務になりつつあり、病院によって様々です。
慢性期であっても、病院群輪番制で救急の患者さんが来ることもあります。

何が言いたいのかと言えば、精神科だから「こういった働き方ができる!」というのではなく、病院によって働き方が全然違ってくるということです。
就職や転職をするのなら、シッカリ下調べをしたほうがいいです。

楽かどうかは働いているスタッフ次第

転職先:精神科
年齢:40代
看護歴:13年

復職後、5年ほど精神科で働いています。
精神科は、3つの病院を経験しています。

精神科が楽かどうかは、スタッフの看護レベルによって全然違います。
看護レベルというか、勉強しているかどうかですかね。

精神科でもエビデンスを中心に看護計画を立てますが、知識がない人は今までの人生経験を押し付けてきます。
私の息子はこうだった、親はこうだった、友だちはこうだったと。
それは健常者の話じゃ・・・。

精神科の看護師は、冷静な対応が求められます。
けどその看護師が患者さんと喧嘩したり、泣かされたり、自分が被害者のような愚痴を言ったり。
精神科の看護師は、患者さんから見ればいい攻撃対象です。
だからこそ冷静に対応しなければいけません。
にもかかわらず患者さんのケアより、同僚看護師のケアに追われる日もありました。

精神科はどこかのんびり働くのが当たり前のような雰囲気があり、頑張っている看護師は煙たがられる傾向があります。
精神科で働きたいなら、そのあたりの見極めが必要です。
病院見学をすると一発でわかると思います。

のんびり働きたいなら、のんびりしたスタッフが多い精神科に。
ガリガリ働きたいなら、忙しそうなスタッフが多い精神科を選びましょう。

精神科の良さが分かった

転職先:脳神経外科
年齢:20代(男性)
看護歴:4年

私は新卒で精神科に配属されました。
3年目で、脳神経外科に転職し今に至ります。

脳外の率直な感想は「別世界」です(笑)
精神科とは、時間の進むスピードが違いすぎます。

精神科は患者さんに合わせて、どこまでも付き合うため、必然的にゆったりした空気になります。
けど脳外科はスピード重視でした。
呼吸、脈拍、リズムですぐに容態を判断する判断力。
食事の時間と、尿の量や色を比べて異常を見つける洞察力。
どの看護師も秒単位で動いている・・・。

精神科とは全く異なる世界で、尊敬に値するレベルでした。
脳神経外科で2年目ですが、精神科は本当に楽だったなとしみじみ思います・・。戻りたいーー!!!

やっぱり精神科が良かった

転職先:精神科病棟
年齢:30代
看護歴:7年

精神科から、混合病棟へ異動となりました。

その結果、退職することに・・。
精神科から一般病棟に変わるのは、かなり大変です。
精神科で5年経験しましたが、何も知らないに等しいため、無駄にプライドの高い新人以下の扱いしかされず。
精神科で学んだことは、昭和の看護なので全く役に立ちませんし、急変時の対応なんて全くできませんから・・。

しかも定時で帰れない、有給も取れない、シフトは毎月バラバラ、夜勤は多い。
結局、体を壊して退職しました。

今は別の病院の精神科で働いています。

精神科に戻りたい

転職先:精神科
年齢:20代
看護歴:4年

看護師3年目で「精神科→内科」に異動となりました。

はっきり言って戻りたいです。
内科に異動して、最新の医療機器、電子カルテ、アセスメント、看護診断、褥瘡ケアなど、看護スキルは向上したと思います。
けど忙しすぎてものすごく疲れます。
患者さん一人ひとりと向き合う時間などなく、ただ流れ作業のように業務をこなすだけ。

精神科は良くも悪くも、看護師次第で患者さんの様態が変わります。
そういったやりがいも無くしてしまいました。
正直、精神科に戻りたいです。

精神科に復職

転職先:精神科
年齢:30代
看護歴:9年

子持ち主婦の看護師です。
精神科5年 → 外科病棟2年 → 精神科1年(今ここ)

子供がいると一般病棟は厳しかったです。
激務だし、覚えることが多いし、残業も多いし、プレッシャーもきついし、何よりも子供の体調不良などで急に休めない。

2年頑張りましたがもう限界だと思い、退職しました。
今は県立病院の精神科で働いています。

ただ今の精神科は合併症の患者さんが多く、一般病棟で学んだ術後ケア、心電図、気道吸引、カテーテル、サーフローの経験は大変役立っています。
以前わたしは、点滴と採血くらいしかできませんでしたから。

精神科は看護師にとって働きやすい環境です。
もちろん看護師としてのスキルアップは望めせん。

が!
人生を楽しくハッピーに生きたい看護師には、
精神科が絶対にオススメ!

楽な精神科に転職するためには?

まずは事前調査をシッカリしましょう。

精神科は、酷な職場もあれば、楽な職場もありピンキリです。
楽な職場は、慢性期に多いようですが、患者さんの状態によっては激務にもなります。

・認知症患者さんばかり
・ADLが低い患者さんばかり
・薬物&アルコール依存の患者さんばかり

楽な精神科を探しているなら、こういった病院は避けましょう。

でもどうやって楽かどうかを調べるのか?

そこで重要になるのが病院の事前調査です。

看護師が復職して知った介護施設の実態

O.Mさん 女性(37歳)
看護師として復職したOさん

私は、看護師として復職した。
ブランクは10年ほど。

「ブランクがある看護師には介護施設がオススメ」という雑誌を見て、その通りにしてみた。
たしかに介護施設は、のんびり働けて復職にはピッタリだと思った。

けど介護施設は、かなりブラックな所で、誰にでもオススメできる訳じゃなかった。
離職率は病棟以上に高い。
私も大失敗したし、壊れてしまった看護師を何人も見てきた。

こんな不幸を繰り返してほしくなく、私が見た介護施設の実態を書くことにした。

介護施設で復職したいなら、一度よく考えてみてほしい。

復職したときのこと

私は旦那のリストラをきっかけに、看護師として復職することになった。
旦那はすぐに再就職したが、給料が大幅に下がっていた。
病棟での経験は8年あったが、出産を期に退職して気付けばブランク10年。
病棟勤務経験8年は、何の役にも立たなかった。
役に立たないどころか、逆に経験8年は邪魔。
新人看護師よりも仕事ができなかったからだ。

同じ時期に、ブランク3年で入職した看護師がいて、彼女といつも比べられて辛い日々が続いた。
彼女は、あっという間に病棟に溶け込んで、すぐに担当患者を持つことに。
ブランク3年と10年の違いには大きな差があった。
経験者ということで、特に指導者がいるわけでもなかったし、みんな忙しく、教えている暇ない感じで、私のことは放置状態。
現役のときにできていたことも、すぐにはできず、初めは手が震えて時間もかかるし、ミスはするし。
毎日が緊張と焦りで、いっぱいいっぱいの日々。
結局、担当患者を持つことができず、みんなの小間使いとして扱われるように。
新人看護師や看護助手にまで見下されるし、誰も助けてはくれない。
私は一人ぼっちになった。
生活の為に頑張って耐えたが、もう限界・・・。

介護への転職

介護施設なら、医療行為も少ないと思って、有料老人ホームに転職した。
優しい先輩看護師に、指導してもらうことができた。
病棟の仕事とは違って、毎日のバイタルチェックと服薬管理がメインで医療行為はほとんどない。
ブランク10年の私にはちょうどよい仕事。
緊張と焦りから解放されて、ホッとしていた。

でも、入職して3日後、地獄のような日々が始まった。
看護師としての仕事を一通り覚えると、私には、介護の仕事や掃除に洗濯までたくさんの仕事が待っていた。
毎日3時間ほどの残業は当たり前で、帰宅時間は8時過ぎになることが多くなる。
旦那よりも遅く帰宅して、ヘトヘトになりながら夕食準備に洗濯・・・
息つく暇もなく、家でも職場でも動きまわっていた。

朝食は、菓子パンにコーヒー。
夕食作る気力がない時は、コンビニ弁当や外食の日々が続いた。
少しでも家事の負担を減らそうとしたが、出費だけが増えてしまう。

余裕のない私は、だんだんと旦那や子供に当たるようになっていた。
子供の話をしっかり聞くこともできなかったし、ちょっとしたことで、子供を叱ってしまう。
叱っていない、自分の都合でただ怒っているだけ。
そんな私を、旦那はただ冷たい目で見ていた。

前の病棟は、仕事はできなかったけど、時間的な余裕はあったな・・・
最近は、子供との時間すら作れない。

有料老人ホームの職員はギリギリの人数で、一人休みが出るとその負担は大きくのしかかる。
夜勤明けからの日勤まで頼まれ、断れずに連続18時間勤務。
家に帰っても、家事に追われ睡眠時間は3時間程度。

週1日のお休みも、死んだように寝るだけだった。
当然、子供との時間もなく、家族団らんなんて夢のような時間は無くなっていた。
時間的に余裕のない日が続き、精神的にも体力的にも追い込まれていった。

初めての給料日、明細を見て愕然とした。
残業代が1円もついていかなかった。
給料は、手取りで17万円。
旦那の給料は、19万円。合わせて36万円。
住宅ローンの返済が、月々10万円で、ボーナス月の返済は30万円だった。
転職したばかりの旦那と私には、もちろんボーナスなんてない。
日々の生活だってギリギリなのに、どうやって住宅ローン返済のお金を捻出したらいいのだろう。
このまま、有料老人ホームで働いても、生活が成り立たない。
貯金を崩しての生活になっていた。

デイサービスへの転職

私は、有料老人ホームから逃げ出したい一心で、デイサービスに転職した。
残業・夜勤がなかったので、給料はさらに激減することになる。
給料は手取りで15万円。

しかも、人間関係最悪だった。
介護士と看護師の対立がヒドイ。
お互い責任のぶつけ合い。

看護師の仕事は、利用者さんの送迎、バイタルチェックに入浴可能かの判断、入浴介助、昼食介助にレクレーションと聞いていた。
でも、実際は入浴可能かの判断は、勝手に介護士がやっていた。
それで利用者さんの体調が悪くなれば、看護師のせい。
何もかもがめちゃくちゃだった。

まじめな同僚看護師Tは、そんな職場ではやってられないとすぐに辞めていったし、
責任感の強い先輩看護師Sさんは、施設長やケアマネに何度も直談判したが、何も変わらなかった。
そのうち、Sさんは介護職員たちからのいじめの対象になってしまい、辞めていった。

いつ医療事故が起きてもおかしくない。
そんな職場だから、いい看護師は、すぐに辞めてしまう。
看護師として、責任取らされたら…
怖くなった。
看護師として、終わるかも。

看護師の免許さえあれば、一生、困ることないと思っていたけど。
介護の職場に足を踏み入れて、本当によかったのだろうか?
もう病棟に戻る自信もないし。
短期間で、転職を繰り返してしまったため、自分の職歴にもキズをつけただけだった。

今の仕事

私は、有料老人ホームに転職した。
でも、転職するまで大変だった。
半年間ハローワークに通い続け、9社応募したが、面接できたのはたったの1社だった。
その1社も、結局はダメだった。
面接官に、ブランク長いこと、ブランク後、短い期間で辞めてしまったことを、ひどく責められた。
自分もうまく説明できなかったし、できない看護師とみられてしまった。

けど、転職エージェントに相談したら、こんな私でも、自分に合った条件で転職することができた。
転職エージェントの担当者は、親身に私の転職を支えてくれた。

アラフォー、ブランク10年、ブランク後の転職回数が多い、こんな条件では、いい職場に転職するのは難しい。
だけど、転職のプロに頼れば、いい職場に出会うことができる。

有料老人ホームの仕事は、私のワークライフバランスにぴったりだった。
何とか生活できる収入があり、
仕事もちょうどよく、家庭との両立ができる。
看護師として、ずっと続けていけそう。

今まで生活が、ウソみたい。

給料は手取りで23万円ほど。
23万円あれば、日々の生活費にボーナス時に支払う住宅ローンの返済にも充てられる。

仕事は、バイタルチェックに服薬管理、医師との連携。
介護の仕事もあるが看護師と介護士の仕事が、明確に分かれているから、仕事がしやすかった。
何より、人間関係が良く、看護師も介護士もお互い情報交換して、協力し合っていた。
看護師も介護士もプロ意識の高い人たちばかり。
残業もほとんどないから、家族に待たせることなく、夕食準備ができる。
8時には、家族3人で夕食がとれる。
久しぶりの家族団らん。

介護施設に転職するナースへ

介護施設へ転職するなら、よく考えてほしい。
介護施設は医療行為が少ないからラクかもと、簡単に転職してしまうと私のようにヒドイ目に合う。
ブランクのある看護師には働きやすい職場だ。

ただ、介護施設によって、看護師の立場や仕事内容はずいぶん違う。
だから、転職する前にしっかりと情報を集めることが大切。

シングルマザー看護師の現実。なぜ子供が地獄を見るのか?

シングル家庭の子供

U.Mさん(32歳・東京都在住)
急性期2年、慢性期5年

私の母は、シングルマザー看護師だった。
母は必死に働いてくれていた。

でも私は酷い目に合ったし、死にたいなんて思ったこともあった。
片親が理由で・・。

母はどう思っていたのだろう?

大人になった私は、最近考えるようになった。

これも何かの縁なのかもしれない。
そう思い、私が体験した母子家庭を子供目線で書いてみることにした。
シングルのお母さんたちに見てもらえれば嬉しい。

子供から見た母子家庭


(父が居た頃の写真。家族は母と私と弟の3人)

母は私が6歳の頃に離婚した。
理由は知らない。

晴れたある日。
私が幼稚園の園庭で遊んでいると、外を歩いている父の姿が見えた。父を見たのはそれが最後。それっきり帰ってこなかった。もしかして最後に私を見に来たのかも、なんて今になって思うけど真相は分からずじまい。

母はパート看護師だった。
朝早くに出て、夜遅くに帰ってきた。
母に遊んでもらった記憶はあまりない。

家は貧乏だった。
まだ携帯なんてない昭和時代。
「写ルンです」やフィルムカメラの全盛期。

でもうちにカメラなんて洒落た物は一切なかった。
家族写真は、母が書いたスケッチだった。
誕生日や正月なんかのイベントの時に書いてくれる。
エンピツで何時間もかけてジックリと。
忙しい母が一緒に居てくれるのが嬉しかった。
私にとってこのスケッチは、色んな意味で特別なものだった。

ある日、学校で家族写真を見ながら作文を書くことになった。
写真なんて持っていなかった私は、母が書いたスケッチを持っていった。

その結果、
大笑いされ、馬鹿にされ、大切にしていたスケッチに落書きまでされた・・。

ただただ悲しかった。
母の頑張りが否定されたようで。

家に帰ってからひとしきり泣いた後、ビリビリに破って捨ててしまった。
母が書いてくれた大切なスケッチを・・。

私までもが母の頑張りを否定してしまった。
最低なことをしたと思う。

・・・

それから随分と時がたち、私は母と同じ看護師になった。

看護師2年目の冬。

母が亡くなった。
心筋梗塞。

出勤しない母を心配した同僚の方が発見してくれた。
母は誰にも看取られることなく死んだ。

あの母が・・・。

葬式が終わり、四十九日が終わり、納骨が終わり・・・。

実家の整理をしていた時のこと。
へその緒、小学校の通知表、母子手帳なんかが出てきた。
へ―こんなことがあったんだー、へー懐かしいなー、へー、へー、なんて独り言をいいながら見入っていた。

2時間も3時間も眺めていた。

薄暗くなってきた頃。
何気なく手に取った茶封筒の中を見て愕然とした。

あのスケッチが入っていた・・・。
セロハンテープで直されて・・・。

泣いた。

ギャンギャン泣いた。

母はたった一人で私と弟を育ててくれた。
仕事、家事、育児。
一人で本当に大変だったと思う。
けどそれでも私たちを思い、私たちを優先し、私たちとの時間を大切にしてくれていた。

このスケッチを見つけた時、どう思ったんだろう。
このスケッチをどんな気持ちで直したんだろう。
このスケッチはどんな気持ちで書いてくれたんだろう。

どんな気持ちで最後を迎えたんだろう・・。

最後までたった一人で・・・。

10年たった今でもたまに母が夢に出てくる。
そんな日の朝はいつも泣いてしまう。

・・・

その後。
私は看護師として働き続け、男性と出会い、結婚し、子供を産み、離婚した。

母と同じように一人で子供を育てている。
同じ立場に立ってみると気持ちがよく分かる。

子供達をどう守り抜くか?

母親にとっては、これが何よりも優先され、全てであり、絶対であり、自分の命すら投げ出せる。

シングル家庭の子供は地獄を見る?

母子家庭の子供は、誰でも1度や2度は酷い目に合うと思う。
私は何度も経験した。
弟も何度も酷い目に合っていた。
よく一緒に泣いた。
けど奇跡的に私も弟もマジメに育った。

ただその一方。
同じような境遇の子たちは、引きこもったり、イジメを受けたり、事件の被害者になったり・・。
その確率は普通の家庭に比べて、かなり高くなる危険がある。

なんだかんだ言って今の日本は片親に厳しい。

別に誰のせいでもない。
世の中の仕組みがそうなっているだけ。

シングル家庭に必要なもの

子供達をどうやって守り抜くか?

それには「お金」と「子供と過ごす時間」。

この2つがあれば、何とかなる。
だからシングルになる予定、または今シングルで悩んでいるならこの2つを最優先で何とかしてほしい。

そのためのポイントは3つ。
・正社員
・職場
・変えてみる

正社員は絶対

シングルだからパート、派遣?

これ絶対ダメ!

シングルだからこそ正社員になるべき!

シングル最大の敵は、圧倒的に貧困である。

正社員じゃなきゃ、間違いなくお金に困る。
時給で優遇される看護師であっても貧困になる。
パートじゃボーナスが無い。
昇給もしない。
パートと正社員じゃ、年収で200万円以上違う。

それに福利厚生や保険関係も、正社員のほうが圧倒的に優遇されている。
パートや派遣だと子供を守れない危険が高い。

私はお金がないってだけで何度も何度も惨めな思いをした。

職場は厳選

職場を探している余裕がない?

これ絶対ダメ!
シングルだからこそ職場を選ぶべき!

シングル最大の弱点は、子供と過ごす時間が圧倒的に少なくなること。

だけどハッキリ言って、これは職場で全く違ってくる。

母子寮、24時間保育、夜勤免除、残業免除、土日休み。

こういったシングルマザーを歓迎している病院を選ぶべき。
看護師不足の今だからこそ、こういった病院は結構多い。

でもそんな病院どこにあるの?

確かに全てそろった職場なんてほとんどない。
でも母子寮や24時間保育があれば、夜勤だってできるし、土日勤務だってできる。
24時間保育が無くても、残業が無くて土日休みなら、働くことができる。

肝心なのは、家族に合った職場を選ぶこと。

職場を変えたらいい

私は今、外科病棟で働いている。
24時間保育のある病院。
夜勤もできるし、残業もこなせる。

独身者と同じように働けている。
シフトで肩身が狭い思いをしなくていい。

給料もそこそこもらえている。
2人の子供を大学に行かせるお金も貯まりそう。

私は今の職場に転職して、シンママが抱える恐怖や不安が、ほぼほぼ無くなった。

楽しい職場、辛い職場。
給料が良い職場、悪い職場。
休みが取れない職場、取れる職場。

色んな職場があると思う。
辞めるのも、耐えて残るのも、選ぶのは人それぞれ。

けど子供が犠牲になる職場だけは、絶対にやめた方がいい。

もし今、シングルで苦しんでいる人がいるなら、色々動いてみると良いんじゃないかな。

大丈夫。あなたに合う職場がきっとあるから。

母子家庭の子供の現実


T.Aさん(34歳・愛知県在住)
1児の子を持つシングルマザー
急性期3年、透析1年、老健2年、慢性期3年

私はよく離婚相談を受ける。
離婚経験者ということもあるのだろう。
相談してくる看護師たちは、すでにある程度離婚を決意しており、背中を押してほしいようでもあった。

ただ私は離婚反対派である。

特に子供がいる離婚は「辞めておけ」と言わざるを得ない。
私はシングルマザーになって地獄を見たし、子どもに取り返しがつかないくらいの悪影響が出たし、後悔している面も多い。

でもそんな私の失敗を誰かに伝えてみたくなり、この記事を書くことにした。
離婚しようと思っている人、または既に離婚して悩んでいる人に読んでもらいたい。

家族の話(離婚当時)


私:31歳。急性期3年、産休・育休でブランク3年、復職6ヶ月目。
子供:1人(4歳男児)
旦那:無職とアルバイトを転々、パチンコ狂、モラハラ、家に全くお金を入れない、借金380万

旦那は結婚当時、良い夫、良い父親だった。根は良い人だと思う。けど通勤中の事故で右手麻痺。仕事がうまくいかなくなり全てが狂ってしまった。
悪く言う気はないし、恨んでもいない。
彼も私も運が悪かったんだと思う。

両親の話

私の実家は福島にある。
2011年の震災で家が無くなった。
幸いにも両親は無事助かる。
けど経済的にも環境的も全く頼れない状況だった。

子供を残した夜勤の話


私は離婚前から病棟で働いていた。
息子は日中保育園に。夜勤中は不安ながらも旦那に預けていた。

離婚すると夜勤ができない。
でも今のままの職場で働きたい。

師長に相談した。
その結果「夜勤なし、土日勤務も免除」となった。
シングルマザーとしてはこの上ない条件だったと思う。
だから離婚後は意外すぎるくらい順調だった。

でも3か月目で色々おかしくなった。
「夜勤できないのに土日休み過ぎ」と主任から言われた。
他の看護師から不満が出ているらしい。
独身が多い病棟だったため、私だけ特別扱いを受けていると思われたようだ。
確かに特別扱いだったし、独身の人だって土日に休んで彼氏や友達と遊びたいだろう。

でも息子の保育園は土日休み。
土日OKの保育園を探すもさすがに1ヵ月で転園できるわけもなく・・・。
旦那の都合で住んでいた土地だったため、縁もゆかりもなく、預かってくれる友達もいない。
ベビーシッターも1日頼んだら2万円近くかかる。

で、選んだのが夜勤。
4歳の息子一人で家に留守番なんて絶対無理・・・。
けど夜なら寝ちゃえばほぼ起きないし・・・。
という考えだった。
もしものために子供用の携帯を買って、何回も何回も使い方を覚えさせ「もし夜ママがいなくてお話ししたくなったら電話するんだよ」って言い聞かせた。

それで離婚後初めての夜勤の日。
息子をいつもより遅めの22時に寝かしつけて、23時に家を出た。
夜勤は0:00~9:00。
子供を置いて夜勤をした経験がある人ならわかると思うけど、本当に怖くて怖くて生きた心地がしないんだよね。
更衣室に何度も何度も携帯を見に行った。
それでも足がガタガタ震えるくらい怖くて、ダメだと分かっていたけど携帯をこっそり持ち歩いた。
もちろん仕事中に携帯なんて絶対ダメだけど、少しでもいいから子供と繋がっておきたかったのだと思う。

本当に本当に長い長い1日だった。
それでもようやく朝が来て9時の申し送りが終わった。私は義替えもせず、上着を羽織り急いで家に帰った。
子供はパンを食べながら、7時にセットしておいたDVDのアンパンマンを見ていた。
体が心が震えるくらい心底安心した。

こんな感じで数回夜勤をしたが、意外とうまくいっていた。
何とかなりそうだと思った。

けど冬のクリスマス直前。
5回目の夜勤で事件が起こった。

息子が夜中にコンビニで保護された。
真っ暗な道を歩いていたところを、コンビニのお客さんが発見してくれた。
夜中の2時に小さな子がパジャマ姿で歩いていてギョッとして声をかけてくれたらしい。
すぐに警察を呼んでくれたが、息子は下の名前しか言えず、どこから来たのか、どこへ行くつもりだったのか、親がどこなのかも言えず、肝心の携帯電話も持ち歩いていなかったため、身元を特定できず、警察の方も大変だったと聞いた。
朝4時ごろコンビニの店長さんが出勤してきて「見覚えがある子だ」ということで、町内会長さんを呼び出してくれ、ようやく私の勤める病院に連絡があった。

私がコンビニに着いたとき、息子はパトカーの中でおにぎりを食べていた。
私はコンビニの方、警察の方、町内会長さんに頭を下げ続けた。
少し落ち着いたころ、息子に家を抜け出した理由を聞いた。

「お母さんがね。いなくてね。かわいそうだったから」

私は泣いた。
極限の恐怖と不安、動揺、混乱から解放された安堵。そして自分の情けなさ・・・。
色んなものが混じっていたと思う。
嗚咽しながらこれでもかってくらい泣いた。

その日、子どもを保育園に預け、すぐに病院に戻り夜勤を抜けたことを主任に謝罪した。
夜勤はやっぱり無理だとも伝えた。

「事情はわかる。けど夜勤か土日出勤のどちらは必須」
「それに急に帰宅されるのは困る。急用があっても変わりの看護師が来るまで待たなきゃダメ」

そう言われて私は「辞めます」と言ってしまった・・・。
もう色々どうでもよくなっていた。

お世話になった師長や先輩、先生など離婚後も親身になってくれ人も多かったのに、相談もせず勢いだけで辞めてしまった。
精神的に追い詰められていたとはいえ、人としてダメなことをしてしまった。
後悔している。

貧困の話


私は透析クリニックに転職した。

夜勤が無いから、また安定した暮らしができると思っていた。
けど総合的に見ると状況は前より悪くなった。

まず急な休みが取れなくなった。
看護師が3人しかいないため、一人休むとかなりの迷惑がかかるから。
子供が風邪をひいて保育園に行けなくても休めない。
有給はあるけど、実質使えなかった。
じゃあどうするかと言えばベビーシッターしかない。
1日頼んで2万円。
稼ぐために働いているのに、働くためにそれ以上のお金を払うこの矛盾。
でも他に方法が無かった。

さらにキツイのが不規則な残業。
最後の患者さんが帰る時間がバラバラだから、定時の18時で帰れる日もあれば、20時を超える日もあった。
病棟みたいに夜勤の人に引継げればいいのだけど、クリニックだとそれができない。

帰宅時間が読めないのはシングルにとってかなりキツかった。
保育園の最終時間が19時。
間に合わずに電話が鳴り、迎えに行くと保育士さんと息子だけ。
いつも申し訳なくて謝罪ばかり。
でも改善のしようがなかった。

さらに大きな問題があった。
それはお金。
月の手取り約18万。
生活がギリギリになった。
ベビーシッターを1回でも使えば完全に赤字で、全財産が10万を行ったり来たりして、もしもが起これば一気に転落するような生活になっていた。
ボーナスで何とか補填したくても夏10万、冬10万。
年収およそ290万。
病棟時代に比べると200万円近く年収が下がった。
いわゆる貧困層になったと思う。

それでも一般の母子家庭に比べれば恵まれているらしく、頼みの綱の児童扶養手当(母子手当)は月にたったの1万円・・・。
元旦那からの養育費はもちろんない。

クリニックに転職して夜勤は無くなった。
でもその代償として時間に追われ、さらに貧困の恐怖にも追われるようになった。

子供を迎えに行き、スーパーで総菜を買い、家で食べ、お風呂に入って寝る。
たったそれだけの毎日。
だけど夢も希望もなく、一度ハマったら抜け出せないこの生活に少しずつ削り取られボロボロになっていた。

最後は保育園から「これ以上お迎えが遅くなるようであれば預かれない」と通告され、クリニック生活は終わりを告げた。

オンコールと子供の恐怖


私は介護施設に転職した。
特養80床、ショート30床という中規模の施設。
給料を少しでも上げ、さらに定時で帰宅できそうな職場を選んだつもりだった。

でも結果だけ言えば、大失敗だった。
まず給料は手取りで16万円にダウン。
毎月赤字。

さらに勤務時間に「早出・通常・遅出」があり、保育園じゃ対応できない時間が多くベビーシッターに頼る日が多くなった。
シッター代が8万円を超える月もあり、もう何のために働いているのか分からなくなった。

さらにオンコール当番が追い打ちをかけた。
当番は月10回ほど回ってくる。

夕食の準備中に呼出。
息子と入浴中に呼出。
就寝中に呼出。

息子を一人置いていく。

これが本当につらかった。
たいていは1時間ほどで戻ってこられるから、アニメDVDをセットしてその間に帰ってこられる。
けどこの頃の息子は精神的に不安定で家に帰ったら大泣きしていることが何度もあった。

右隣の方と、下の階の方からちょくちょくクレームが入るようになり、それがドンドンエスカレートしていき、ある日オンコールの呼び出しから帰ったら、家のドアをガンガン蹴っている人がいて、息子は泣くこともできずガタガタ震えていて、頭に血が上って相手を突飛ばしてしまい、警察が来て、注意だけで済んだものの、もう色々ダメだと思った。

この頃は貯金がほぼ尽きかけていて、仕事も続けていけず、住むところも追い出され、生きる気力を保つことすらできなかった。

余裕が無いと本当に目の前しか見えなくなる。
何も考えられず、何かを調べる気力もなく、何かを決断することもできず、底なし沼にハマるような感覚。
目の前の泥をかき分けてもかき分けても堕ちていくような絶望感。

病院寮の話

また仕事を探すことになった。
どこで働いてもまた同じ。
もう何も気力が無かった。
息子がいなかったらたぶん本気で死んでいたくらいには病んでいた。

看護師を辞めようとも思った。
でもそれこそ仕事が無く、あったとしても今以上にお金に困るのが目に見えていた。

そんな時、スマホで見かけて登録したのが転職サイト。
担当者さんと出会い、今の職場を紹介してもらった。

関東地方にある総合病院。
慢性期病棟で勤務。
夜勤あり。
土日出勤あり。
24時間の託児所あり。
月の手取り約34万
ボーナス年2回支給で140万
病院寮あり。

この病院は「今までの苦労は何だったんだ!?」って笑えるくらい私たち家族に合っていた。

まず24時間保育があるから夜勤を始められた。
夜勤を始めて給料が一気に上がった。
それに24時間保育があるような大きな病院は、基本給、扶養手当、地域手当など元々が高い。
しかもボーナスは今まで見たことないような額が通帳に振り込まれる。

あと転職して一番良かったと思えるのが病院寮。
敷金礼金不要、家具完備。
家賃は光熱費込で月5万円。
お金の面ではかなり良くなった。

けど病院寮の一番の良さはそこじゃない。

寮にはシングル家庭の人たちが沢山いて、共有のリビングやキッチンにみんなが集まってくる。
子供のこと、仕事のこと、生活のこと。雑談で気軽に相談できる。

保育園や習い事の送り迎え。
一人で抱え込まず、誰かと協力するだけで本当に楽になった。
塾と水泳教室にも通わせることができるようになった。

息子が小学生になり24時間保育がダメになっても、年長の子が学童に連れていってくれたり、宿題をみてくれたり、勉強を教えてくれたり、誰かが見ていてくれる。
みんなでBBQ、花見、レンタカーで海水浴、クリスマス会。
シングル家庭じゃなかかなできないチョットしたイベントもみんなが集まればできちゃう。

※先生や独身者も呼んでクリスマス会

毎週、月水金は共有リビングで食事を作ってみんなで食べている。
息子は母親の味をいくつも知っている。
週3回夕飯を作らなくていいだけでかなり楽になった。

※寝るのも食事も一緒

休日には子供を見る当番を決めて、大人だけで出かけたり、昔の友達に会ったり、ランチしたリ、ゆっくり買い物したり、一人の時間も持てるようになった。
シングルになって欠けてしまった部分を、みんなで埋めているような。

孤独じゃないから成長できる。
安心できるから成長できる。
仲間がいるから成長できる。

自立の始まりは「自分たちの居場所を持つこと」

今年息子は小学3年生になった。
リビングで兄弟のように遊びまわる子供たちを眺め、この病院に来てよかったと心底思う。

私がシングルになって学んだこと

離婚すれば必ず子供が犠牲になる。

だから私は「離婚はダメ」って言いたい。
けどそんな単純な問題じゃないものよくわかる。

どうしても離婚するなら、まずは子どもが犠牲にならない環境を作ったほうがいい。
じゃあその環境をどう作っていけばいいのか?

1.家賃を削る

シングル家庭で子どもが犠牲になる最大の要因は何か?
それはやっぱりお金の問題。
お金じゃないって人もいるけど、それはただのきれいごと。
大抵の問題はお金があれば解決できるし、そもそもお金があれば問題すら起こらない。
シングル家庭にとってはお金は生命線であり、最重要課題。

そのためにまず家賃を低く抑えること。
家賃は固定費の中で一番高い。
家賃を低く抑えられれば、その後の生活が全然違ってくる。

まず賃貸アパートはダメ。
とにかく値段が高い。
見栄えはいいけど、2DKだと月5万~10万。
初期費用も敷金礼金で15万以上もってかれる。
それにお金だけじゃない。
保証人問題も出てくるし、シングルだと貸してくれない大家もいる。
賃貸アパートは一時的な非常手段ぐらいに考えておくこと。

それよりも公営住宅のほうがいい。
とにかく安い。
場所や収入にもよるけど、看護師ならだいたい2万~4万円ぐらいで住める。

ただ公営にもデメリットがある。
良い物件は、シングル優先枠があっても何百倍っていう当選率。
逆にシングルが殺到して、一般枠より倍率が高くなることもあるらしい。
ほぼ不可能。

その一方、待ち無しですぐに入れる物件もあった。
でもそれは危険な物件。
場所が悪かったり、治安が悪かったり、変な人が多かったり、学校が荒れていたり。
腰からやたらでかいチェーンをたらした外国人が団地の階段に普通にいたりする。
子どもは良くも悪くも周りの影響を受けやすい。
公営住宅は安いけど、それなりの理由があった。

シングルにオススメはやっぱり病院寮。
とにかく安い。
光熱費込、家具付き、家電付き、引っ越し費用病院持ち。
なのに月3~5万とかで格安。
セコムのセキュリティつきだったりもする。
住んでいる人も同僚や病院関係者。
子供も自分も安心できる。
安全に家賃を抑えたかったら寮が一番。

こんな感じで一番大きな負担になる家賃は徹底的に削ったほうがいい。

2.収入を上げる

看護師が収入を上げるにはどうしたらいいのか?

それにはやっぱり夜勤がキーだった。
日勤のみで月20万ちょっと。
月20万なら切り詰めてなんとかやっていけるレベル。
けど実際に手取りにすると18万、17万円になってしまう。
本当にギリギリの生活だった。

でも夜勤をやれば、月収30万。
30万円あればもしものために貯金もできるし、子どもの塾や習い事の教育費も出せるし、子供の進学費も残しておける。
それに夜勤ありなら求人の幅も広がるから、いい病院を見つけやすくなる。
良い病院なら、有給も取れるし、土曜日に休んだり、急な休みもとりやすい。
日勤だけの仕事って限られるから、取り合いになって条件が悪くなる。

看護師がシングルになるなら、貧困にならないためにも夜勤を選択肢に入れておこう。

けど子供がいるのに夜勤なんてできない・・・。

そう。確かに子供がいると夜勤は難しい。
たいていのシンママは、これが理由で日勤のみのクリニックで働こうとする。
でもこれだと必ずお金に苦しむ。

じゃあシングルが夜勤をやるには、どうしたらいいのか?

3.仲間を作る


仲間を作って、子どもを預け合う。
これが出来れば夜勤ができるし、土日出勤もできるし、子どもが急に熱を出しても対応できる。

24時間保育の病院を選ぶのもいいけど年齢制限があるのがネック。
小学生になることを考えれば、シンママ仲間で預かりあうのが一番良かったし、中長期に安定する。

けど「子供を預け合えるシンママ仲間を見つける」ってのが結構ハードルが高い。

私は色々試したけど病院寮が一番良かった。
病院寮はシンママ率がかなり高いから。
しかも同じ看護師で、同じ病院で、同じ保育園や小学校に通っている。
共通の話題は山のようにあるからすぐに仲良くなれるし、情報交換もすごい有益。
だからシンママ仲間がすぐにできる。

「夜勤で子供を預け合う」のも簡単だった。
みんな「夜勤中に安心できる所に子供を預けたい」って切望しているから。
寮があるようなでかい病院なら、シングルでも夜勤率が高い。
みんな預けたいと思っているし、喜んで預かってくれる。

一人っ子の3家族が集まって寝ている図

子どもが大きくなって中学生、高校生になっても、病院寮なら何かあった時に誰かが面倒見てくれるだろう。
こんな感じで病院寮は「夜勤をやるための環境」が1番整っていた。

あと地域にも仲間を作ったほうがいい。
子供の面倒を見てくれるし、何かあれば連絡もしてくれた。
迷子、いじめ、非行、事故、事件。

地域に仲間を作るといっても、そんな濃い付き合いじゃなくていい。
顔見知り程度。
コンビニ、歯医者、美容院、スーパー、銀行、習い事。意識して近所で済ませること。
これだけで顔見知りは増えていく。

近所の目は子供を見守るアンテナ。
母親だけでは目が行き届かない。
子供の周りを仲間で固めておけば、自分がいなくても子供は守ってあげられる。

まとめ

シンママは孤独。
仕事と家事、育児で時間がなくなり、人と交流できなくなるから。
そんな時に社会から冷たくされたら、悲しく悔しくて吐き出したくても誰にも話せず、ただただどうしようもない劣等感の中「なぜ私だけが・・」と落ち込み、ますます孤独になる。親子のCMを見て自己嫌悪になり、公園で親子を見てコンプレックスを感じ、保育園の運動会で私たちだけ隔離されているような気になる。

でもある程度のお金があって、自分たちの居場所が見つけられれば、よっぽどのことがない限り母子家庭でも失敗しない。

そのためには、誰かに頼るのに慣れたほうがいい。
シンママは人に頼らない傾向があるから。
そもそも看護師は、学生時代から実習やレポートで我慢して耐えてきた強さのせいか、特に酷い。
何でも自分のせいにして、自分が解決しなきゃって、自分だけで考えて行動し、自分一人で耐えようとする。

でも誰かを頼らなきゃダメ。

自分のためでもあるけど、子供を守るために。

私は今どこかに困っているシンママ看護師がいたら、絶対に温かく迎えてあげられる自信がある。
シンママだって環境が整えば、楽しく生きていける。
誰だって探せばきっとそんな職場が見つかるはず。

シングルになろうって人はどうか環境を整えてからにしてほしい。

・・・

そういえば息子がまだ4歳だった頃。
私は毎朝、保育園までの坂道を自転車で必死に漕いでいた。
後ろの息子が「ままーがんばれー!ままーがんばれー!」といつも応援してくれていたのをふと思い出した。

追記 2016年10月

読者の方から「良い仕事が見つかりません・・。誰に頼ったらいいんでしょうか?」というメールをいただいた。

転職で困っているなら、転職サイトを利用したらいい。
担当者が付いてくれ親身になってフォローしてくれる(無料で利用できる)

担当者の方々は転職のプロ。
色んな求人を知っていたし、病院の内情にも詳しいし、シングルマザーが働きやすい病院も知っている。
私はシンママが助け合って暮らしている病院寮を教えてもらえた。

だからまずは転職サイトに登録して、担当者の人から情報を集めてみればいい。
詳しくはコチラを参考に↓↓↓